仕事と心のDiary

デトックスのための文章

だめな私の、だめな一週間。

大好きなコーヒーを控えている。少しカフェインが気になる。というのも、ここ数日なんだか体が重く、昨日はお昼休憩の時も横にならないといられなかった。そういう時は、何もやる気がしない割に「体にいいものを飲まなければ」という本能だけは残っている。牛乳やハーブティみたいなものばかり飲んでいた。

 

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先週から割と巣ごもり欲求のようなものが高まっていて、週末は出掛けなければいけなかったけど、その後また電池切れになってしまった。昨日お風呂に入って、やっと体が動くようになった。何もやる気がしなくても、力を振り絞ってお風呂で温まる効果は絶大。

 

心が雨の時は、一人でただひたすら横になって、流れてくる思考にだけ意識を向けていたいと思う。テーブルの上のものを片付けることも、ポットに水を足すことも、携帯の小さな画面に向かって文字を打つこともしたくない。そんな自分を、もう一人の自分が眺めている。なさけない大人だな、と思いながら。

 

先日美容院に行った時、美容師さんに「どうですか」と聞かれ、ぼーっとしていた私は何も考えず、咄嗟に「え、これで終わりですか?」と言ってしまった。言った後で、はっと気づいた。そんな言い方って。悪意はなかったけど、正直言って正気すらない状態だった。「…あーーー、や?だって、バランスとかもありますもんね」と濁した。

 

その後、とにかく疲れていて、休もうとカフェに並んだ。そうしたら、私の後に女性が一人、その後ろに女性二人客が並んだ。しばらくすると店員さんがやってきて、私と後ろの女性を二人連れだと思って案内しようとした。私は咄嗟に、「一人なんです」と伝えた。それを言った後、自分でも驚いてしまった。その声が何だかとても、嫌な感じに響いたから。

 

こういう周期がやってくると、自分を休ませることで精一杯になってしまう。私はこれを、「なさけないサイクル」と呼ぶことにした。「こういう風になってはいけない」と思いながら、いとも簡単にそちら側の人になってしまうのだから。

自然派に魅了され続けた結果、『THREE』にまで手を出してしまった。

最近外に出る機会が減ったので、お金を使う機会も減り、その分をスキンケアに回す方向に行きはじめています。メイクをする機会も減ったはずなのに、毎日メイクしていた頃よりも調子が良くないと感じることが増え…。今の化粧品って多分ファンデーションであっても成分が良いものが多いので、年齢的にも逆に塗っている方がバリアになって良いのかもしれません。

 

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最近は特に、天然系や自然派というフレーズに惹かれます。数年前に知り合いがハンドクリームのセットをくれて以来、『MARKS&WEB』の製品が好きです。香りは色々ありますが、ラベンダーとゼラニウムの香りをよく使っていて、特にこの香りの「ハーバルフェイスクリーム」を使うようになってから、冬の寝起き時に顔の渇きを感じなくなりました。成分の上位に、マカダミア&ホホバ種子油が使われている保湿クリームです。

 

www.marksandweb.com

 

このブランドの化粧水は若干ヒリヒリしたことがあり使っていないのですが、クリーム系は個人的に好きで、これから先も使いたいブランドの一つです。香りって大事だなと思います。

 

数か月前に肌荒れがどうにも酷くなり、それを単なる乾燥によるものとして早く片付けたかった私は、『TWANY』というブランドのしっとり系の化粧水と乳液を買おうとしていたのですが、そこに店員さんが現れ、「肌荒れでしたら、炎症を落ち着かせるハトムギの入っているこちらもありますよ」と紹介してくれたのが、この『Prédia SPA et MER』というブランドでした。

 

www.predia.net

 

「薬用」と入っているだけで、もう何やら無敵な安心感があります。店員さんいわく、海洋深層水で香りも癒されますよとのことで、個人的にも割と好きな方に入る香りでした。ただ、多少病院っぽく(?)感じる方もいる香りのような気はする…。化粧水も乳液も軽めで、肌荒れは確かに落ち着く感じがありました。肌のほてりが取れるのと、安心して使える感じ。個人的にはもう少ししっとりする方が好みで、この上にも『MARKS&WEB』のクリームを重ねていたのですが、乾燥して辛いというわけではないので、夏のこれからの時期には良い気がします。

 

そして最近、ずっと気になっていた『THREE』に遂に手を出してしまいました。

 

www.threecosmetics.com

 

精油を基本的に9割以上使った製品。値段も張るので悩んでいたけど、「結局いつかは買うんだろうから今買っても同じじゃない?」というもう一人の自分の声に素直に従うことに。箱からまだ出していないのに、何ともいえないリラックス系の香りが漂っています。『THREE』には、「バランシング」(水分量と油分量を整える)、「スリー」(肌荒れ対策)、「エミング」(エイジングケア)の三つのラインがあり、私は今回肌荒れの「スリー」を選びましたが、本当は懐が許せばすべて試してみたい…。

 

 
 
 
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「もうこれ、最悪無くなってもいいや」と一度決めると強くなれる説。

「ちゃんとやろう」と思っても、実際に人はそこまで気にしていないものだと友人は私に言った。もはや彼女は、私のカウンセラーかもしれない。悩んでいる時、友人に相談すると心が軽くなる。自分では気づけないことが出てきて、「絶対だ」と思い込んでいることが実はそこまで重要ではなかったと気づかせてくれる。

 

溜まっているものがどうにもできそうになかった私は、今回も友人に連絡をしていた。

 

友人は、「人を嫌ってはいけない」と知らず知らずのうちに抑えていた私の気持ちを代弁するかのように、いとも簡単にぼろくそに人の悪口を言ってくれた。「それ、私も絶対に嫌。」「邪魔くさいな、ホント。」と。それを聞いているうちに清々しくなった。嫌なことは嫌だと思っていていいし、人を嫌ってもいい。そう自分を許せたら、やっと笑えていた。

 

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昔、嫌なことから逃げられなかった。この状況結構きついだろう、と思われたのか、傍で見ていた人から「我慢強いよね」と言われたことがあった。当時は何とも思わなかったが、私が努力だと思っていたことが、周りには耐えているように映っていたのかもしれない。私にそう言った人は、「自分はこういうことが嫌なんだよ」とよく私に話した。時には、その「嫌なこと」に耐えられず、人と揉めているようだった。そんな日々を経て、彼はいつの間にかお金を貯め、「残りの人生はやりたかった店を開く」と言ってそこを去っていった。なんだかとても人間臭い人だった。

 

友人の話に戻ると、彼女は「こうした方がいいよ」とは私に言わない。私も、友人にそれを言ったことはなかった。ただの偶然なのかもしれないけど、何となくどんなことも結局自分で決めるしかないと知っているからのようにも思える。ここ数日何をやっても血の巡りを感じなかったのが、友人の話を聞きながら心から笑えていることに気づき、体も温まった気がした。私は彼女と話した後、「もう我慢するのはやめよう」と決めた。

 

実際、「嫌なら去ろう」「ここにいられなくなっても別にいいや」と一度腹落ちすると、変に自分を良く見せようとしたり人の機嫌を伺ったりすることが自然と減って、楽になる。嫌いな人は嫌いなままでいいし、理由があることを無理に人に合わせて遠慮しなくてもいい。別に「あなたはいらない」と言われるのなら、それで結構。そんな風に心の中で見切りをつける感じだ。「もうこれ、最悪無くなってもいいや」って。

 

安定とは何なのかを考える。お金があること、仕事があることは確かに世間では安定しているということになる。でもそれらは、人によっては一番の条件にはならない。その「安定」を維持するために、不安定になってしまうからだ。

 

多くの人にとって、会社というコミュニティの中である程度チームワークでお金を稼いでいくという安定の形が、ある人にとっては不安定をもたらす、ということがある。その場合は、同じ場所で過ごす仲間とはいえ、”外部の人”という形でコミュニティに参加する方がその人によっては心地が良いということもある。安定が何かというのは、人によって違うのが当たり前なのだ。

 

世間に合わせようとばかりいると、ゆがむ。「自分には」何が合っているのか。それを優先させていくのは結構エネルギーを使うし、勇気もいる。疲れた時に思いきって休むことも、例えばフリーランスで頑張ってみることなんかもそうだと思う。でも、自分が笑っていられるのならそれが正解なんじゃないか。

 

これからしんどくなった時、真っ先に捨てられるものが一つ決まった。

『ボヘミアン・ラプソディ』映画館で3回観た記憶がQueenの曲とともに蘇る。

昨日は金曜ロードショーで『ボヘミアン・ラプソディ』が放送されていて、先週に引き続き楽しみました。この映画を観てラミ・マレックとルーシー・ボイントンカップルが好きになり、しばらく海外のゴシップサイトで二人のファッションチェックをしていたことがあります。(どうでもいいけど、「ぼいんとん」で変換したら「ボ隠遁」って…私のパソコン一体何を考えているのか)

 


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この映画を観て好きになった『Love of My Life』

 

主演のラミ・マレックは、「フレディを演じる時はいつも自由を感じられるんだ」とインタビューで話していました。また、この映画の中でメアリーのことを呼ぶときに「My love...」を使うシーンが多く、今時相手をそんな風に呼ぶことがないので苦労した、とも言っています。

 

「何としてもヒット曲を作れ」とプロデューサーから言われたフレディが突如オペラを流し、

フレディ:「It‘s opera.」(うきうき)

周り:「Yes, opera...」(凍り付く)

の所も、ここが大ヒットの始まりだったことを思うと胸が熱くなります。ソファに腰掛けるメンバーも三人のバッハにしか見えない。その後の収録のシーンの、「How many "Galileos" do you want?」(何回ガリレオって言わす?)の所も笑えます。『We will lock you』に繋がる足踏みのシーンなどは、映画館で観ると特に鳥肌ものでした。

 

でも、『Another One Bites the Dust』に繋がるまでのシーンで、ジョンディーコンが喧嘩するフレディ達の横でヒットの予感満載なベースを刻むのですが、配信(AmazonPrime)やテレビ版だとここの音がカットされているよなと思い…残念です。

 

一番好きなのは、メアリーとのシーンです。ある夜、フレディからバイセクシャルだと告知を受けたメアリーが自分の本音を漏らした時、メアリーの表情が窓からの青白い光(月なのかな?)に照らされ、マリア様のように思えてくる神秘的なシーンです。後半でボロボロになったフレディを「家族の元に帰ってきなさい」と諭すシーンも、聖母にしか見えません。けれど、一部のQueenファンからは「同性愛よりもストレートの方の印象が強く残るように描かれ、フレディへの冒涜だ」というクレームも出たのだといいます。

 


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フレディが病と向き合うシーンで流れていた『Who wants to live forever

 

HIVの告知をうけたフレディが、病院の廊下で子供から「エーオ」と言われ、「エオ」と小さく返すシーンが切ない。「エーオ」という掛け声でフレディはいつもファンと繋がり、メンバーや音楽と繋がってきた。この映画の山場であるライブ・エイドで最後の使命を果たすという彼の決意、ファンへの最後の誓いのようにも感じられた優しいやりとりでした。

 

最大の涙腺ゆるみポイントなのにテレビではカットされてしまっていた、ラストで流れるこの曲も素敵です。


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ただの日記。

在宅ワークが続くと、時々無性に太陽の光を浴びたくなります。「これ以上浴びなかったらまずいぞ」っていう、本能的なものなのでしょうか。確かに太陽の光を浴びるとホッとするし、気持ちの健康にも影響している実感があります。

 

HSPということもあって、心の健康を毎日維持するのは結構難しいことの一つです。どうしても色々と気になって不安感を持ちやすいし、余計な音や声がオンライン会議に入らないか気になったり、人と話すのがどうしてもしんどい日もある。だから最近本当に大事だと思うのは、在宅だからこそ敢えてしっかり切り替えをするということです。(通勤電車の中だったり、どこかに寄り道することで気持ちのスイッチを変えるようなタイミングが在宅の場合は無い)

 

本当は、いつかのタイミングでもう少し働く時間を短くしてもいいのかな、と思っています。8時間って、やっぱり長いんですよね…。自活するとなると不安もあるけど、それでも一日の大半が仕事になると心が削られるし、どう工夫してもその時間でほとんどのエネルギーを使ってしまう。今日は終業後に興味ある分野のオンライン講座があって、楽しい講義だった反面、仕事であったことを引きずってしまっていて悔しかった。

 

「あの頃は大変だった」みたいな世の中の人の闘病の話や家族に問題が起きた時の話とかを聞くと、やっぱり人生は一度きりなので、好きなこと、大切な人のために一番にエネルギーを注げるようでいたいなというのをよく思います。そうじゃない人生なんて、なくなっても何とも思いもしないし未練も感じない。それって何のための時間なの、って。

 

そんなに謝らないでいい、と仕事で言われたことがあるんだけど、やっぱり気になってしまうんですよね。自分が尋ねることで、相手の作業の手を止めさせてしまうこと。大勢の前で発言することや、何かをお願いすること。こういう時間を持たなくても済むのならすごく楽なのにな、と感じます。だから、安定感があってコミュニケーション能力が高かったり、言うべき時にしっかりと発言できる「組織の花」みたいな人が、羨ましくなってしまう時があります。生命力が強い感じというか、どこでも生きていける無敵感とでもいうのでしょうか。

 

強くなろうとするのは、苦しい。

 

最近あまり気持ちが上がらずで、なんだか暗い日記になってしまった。でも、駄目なら駄目で仕方ない。出来るところまで。

『スタンド・バイ・ミー』に滲み出る、子役達の実生活と苦悩。

昨日、金曜ロードショーで『スタンド・バイ・ミー』がやっていた。観よう観よう、と思いながら観られていない旧作の映画というのが今までに結構あり、この映画もそのうちの一つだった。多分、昨日テレビでやっていなかったらこれから先も観るタイミングを失っていたと思う。テレビ局にリクエストしてくれた視聴者の方に、感謝しかない。

 

晴れた中、考え事をしながら車を走らせる冒頭のシーンから惹きつけられた。主人公のゴーディには、小説を書く才能がある。彼は友人のクリスとテディ、バーンとともに死体探しの旅に出た夜、森で火を囲みながら、自作の小説を彼らに聞かせる。「面白い」「続きはどうなるの?」と、友人たちは感想を伝え合った。彼らは、まだ分かっていなかった。小説より自分達の身に起きることの方がよほど”物語”であり、そして必ずしも、続きを描ける出来事ばかりではないということに。

 

テディとバーンがまるで中身のない会話をしながら歩く後ろに、ゴーディとクリスが続く。「皆と離れたくないから、進学コースには行かないよ」と話すゴーディを、「お前のように才能を与えられた奴が俺たちと同じ所にいたら駄目だ。お前のいる場所じゃない」と諭すクリス。そしてゴーディもその前夜、「自分は何をやっても、結局大人から利用される世界に生きているんだ」と話すクリスの背中を押した。二人は既に、純粋な子供ではなくなっていた。

 

子役は皆魅力的だけど、クリス役を演じたリヴァー・フェニックスには特に、表情・セリフ・美しさのすべてに惹きつけられてしまう。私生活で親の信仰するカルト集団と性被害の中を生きていた彼は、その後23歳で薬物中毒によりこの世を去ってしまう。リヴァーの背負ったものが、クリスが家庭環境を語る姿にも重なる。

 

www.cinematoday.jp

 

この映画でバーンを演じたジェリー・オコンネル以外は全員、出演時期に精神的虐待やドル箱として搾取されるなど親との確執を抱えており、またロブ・ライナー監督自身も「俳優の息子」とレッテルを貼られることに苦しんだ少年期があったという。偶然なのか、監督の采配なのかは分からない。けれどスティーブン・キングの自伝を超えて、この映画には作り手たちの実生活から滲み出た機微が詰まっている。

 

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仕事を隅っこに追いやりたいなぁと思う話。

このブログを始める時、ブログのタイトルを決めるのにあまり悩まなかった記憶がある。『仕事と心のDiary』になったのは単純に、私の中で仕事の存在が一番大きかったからだった。私がもし親だとしたら、仕事は一番手のかかる末っ子みたいな存在だった気がする。

 

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仕事している理由って人それぞれだけど、今の私はまず、税金関係のことを会社がやってくれて、楽だから。そして、好きなことに費やすお金が欲しいから。それだけ。

 

前は「自己実現」とか「キャリアアップ」とか、カギカッコで括りたくなるような四角い言葉のことを考えていた。でも、去年ほとんどの時間を仕事せずに過ごして、そういうことをあまり考え(たく)なくなった。むしろ、職場という場所にいる自分がすべてになってはいけない。そう思うようになった。

 

働いていると、性格によっても気持ちの切り替えがうまくいかず、気づくと仕事のことばかり考えていることもあるものだ。とはいえ、「仕事=自分」みたいな図式が出来上がってしまうのは、絶対に違う。「好きなこと=自分」が正しい。自分が想像しきれてにないだけで、仕事というのは選ばなければ無数にある。でも、自分という人間は一人だけ。

 

だから、「働く」ということについて何か問題があると、だったら「働く」を自分の中からとことん追いやる方法はないものか? と思う。だって、気を抜くと「働く」がどんどん我が物顔で私のスペースを陣取っていくのだから、そこは断固拒否するしかない。それに挑戦して、すでに数か月が経つ。(未だにうまくできないから、こうして日記を書いているんだけど…。)

 

どうせ生きている。せっかく生きている。それなら好きなことを味わわないと損。何でもいい。好きなドラマを観る、興味のあることを調べてみる、今の気持ちをブログに書いてみる。

 

「働く」とうまく共存できなかったから、今は対岸からそれを眺めて、自分の脇に好きなものを並べたい。今はそんな時代じゃないと言われるのかもしれない。でも、ただ、もう邪魔をされたくない。それだけ。

 

今日という一日に、まず出来るだけ、好きなことを。