仕事と心のDiary

デトックスのための文章

「俺ってこういう人だから。」と前置きする人の、本当の姿

私は、「俺ってこうだから。」「私ってこういう人だから!」と前置きしながら人を傷つけている人が、本当に嫌い。

 

…好きな人なんていないか。(笑)

 

「俺ってほら、変人だからさ。」

 

うん。だから? 変人なのではなくて、ただ、やな奴なんでしょ。

 

自分の素の性格というのは、何も考えずにただ出せばいいというものではないと思います。たまにそれを個人主義や自由とはき違えている人に出会うけれど、人を傷つけてでも自分の本心さらして自由に振る舞うのは、開放的なのではなくて、ただの子供ということ。

 

ある程度想像はしておきながらも、傷つく事を平然と相手に伝えて、「俺、ストレートにしか言えないんだよね。」というのは、もう何か、全然違うなと思うんですね。

 

ストレートにしか「言えない」のではない。そういう風にしか「言わない」だけ。思いやりを持とうとしていないでしょう? 周りに甘えているだけだと思う。

 

人といて、心が温かくなる瞬間が好きです。

 

落ち込んでいて、席を外した後に戻ったらさりげなく机にお菓子が置かれていて涙が出そうになったとか、今度は自分がお返ししようとか。そうした何気ないシーンが、後になってとても大切な思い出になっていたりする。ちょっとした作業を「やるよ」「いや、自分がやるよ~」って声掛け合ったり、昔はそういう優しいことが沢山あった。人に支えられてたんだなと思います。

 

自分のことはまず置いておいて隣の人を立てたりという先輩方に育ててもらった時期があって、自分もそういう存在を自然と目指していた時があった。仕事というよりは人として学ぶことがたくさんあって、人と関わることってこんなに温かいのだと教えてもらった。たくさん泣いたけど、その分たくさん呑んで笑っていた。

 

傷つくのが怖くなると、人って閉じるものなんだなと思います。私も自然と、自分から周りにそういう温かいことを伝染できなくなってしまっていたのかもしれない。私がそうだから、周りがそうなったのかもしれない。もう、分からないけど。

 

「私、悪くないよね? あんたがやりなさいよ」「あいつが悪い」と色んなことが野放しになっていて、そんな風に責任放棄することが「信頼関係があるからこそ何でも言えるんだ」ということなのだとしたら、やり直しさせてっていう感じ。

 

「あなたはこういう所があるかもしれないね。」「うん、そうだよね、そうなんだよねー。それは分かってるんだけど。」

 

その、「分かってるんだけど。」から先が、その人自身なのだと思います。

 

分かっているんだけど、じゃあどうする? そのままそこに留まるのか、チャレンジしてみるのか? って自分に問いながら、何歳になっても挑戦している人が世の中にはいる。

 

対人関係の悩みはどこにでもあるけれど、それを「どうしたら前進できるだろうか」っていう段階に少しでも変えて行けたら、どれだけ良いだろうと思う。それを伝え続けたい。みんなで成長出来ればいいけど。