仕事と心のDiary

デトックスのための文章

自分の顔を見るのも嫌

このままでいいのかな、と最近よく思います。

 

21時過ぎまで働いて、肌や髪もすべてげっそりで、ストレスで食べてしまう。あるいは、喉を通らない。最近は、自分の顔を見るのも嫌。

 

結婚して子供を産んでというライフスタイルを選ぶことで、生活をがらっと変えることもできる。そうでなくても、こんなにキャリアにしがみつかなくたって生きる道もあるはずなのに、頑張ることに、何の意味があるんだろうって。

 

元の部署で働き続ける選択肢はなかったから異動は必然だったけど、賢く生きるには良い選択肢でも、自分が本当に望んでいるものではないとよく分かるようになってしまった。

 

時間を何に使うかというのは、お金を何に使うかよりももしかしたら大事なことかもしれません。人は確実に年齢を重ねていく。今年をキャリアのことに費やしたのは本当に自分にとって良いことだったのか? と、30歳を越えてからよく考えるようになりました。

 

一年一年を無駄にできない感覚が、自分の中ですごく強くなってしまっている気がします。「子供産むなら」「転職するなら」「留学するなら」と、何にでもリミットつけて考えてしまう。人から言われたことを気にしてしまうのも、きっとそれが図星だから。

 

器用に生きられないというか、遠回りしてわざわざきつい道を今までも選んできて、これからもそういうものをわざわざ選んでいくの? という不安と、こんな人生なら楽しくないから、そこまで長くなくていいとすら思ってしまう。

 

自分でそうしてるくせに、馬鹿みたい。

 

これが孤独っていうことなんだなと思う。家族がいる人達だって、もちろん大変なこと、煩わしいことは多いと思うんです。でも、一緒に生きる人がいるってとても素敵なことだし、羨ましい。

 

自分みたいなのは、一緒に生きる人を若いうちに早く見つけないといけなかったタイプなのかもしれないと思います。男性と肩並べてタフに働ける体力や精神力があるわけでもなく、むしろいつも人間関係で悩んでは泣いてを繰り返してる。神経質な自分の性格に付き合うのが疲れてしまいます。

 

生きるために食べる、生きるために働くとなってしまった瞬間、人生がとてつもなく重苦しく感じる。自分一人のために、夜遅くまで仕事をして。何になるんだろう。ここ数日は何をしていてもお腹がすくし、グーグー鳴る自分のお腹が、腹立たしくて仕方がなくなります。

 

自分が何者にもなれないし、何者でもないということを認めるのはすごく辛い。

 

仕事行きたくない。