仕事と心のDiary

デトックスのための文章

辞める理由は、分かってもらえなくていい

朝起きた時から、休みたい、って全身が訴えてる。

 

悩んで、午前中だけ休みをもらい様子を見ることにした。

 

家の近くの工事現場から、ラジオ体操の曲が聞こえてくる。近くの幼稚園からもたまに聞こえることがあるんだけど、自分が小学生の頃、夏休みで早朝から体操に通ってスタンプもらっていた頃を思い出す。

 

あの頃はただただ面倒と思いながら家を出て、でも終わった頃には、来て良かったって思う。帰った後の朝ご飯も美味しくて。

 

同僚に、辞めることになった経緯を話すのが面倒臭い。送別会やご飯、ランチのお誘いなど、嬉しいんだけどもう話したくない。

 

嫌だった事とか自分が感じてきた事を、すべての人に理解してもらえるわけでもないし、話しているうちに自分の表情が醜くなっていって、ストレージにいらないゴミが増えていく感覚。

 

うん、メモリにゴミが増えていく感覚がすごく的確な表現で、履歴すべて削除して新しいことを考え始めたい自分と、古いストレージから解放されないこの不自由さが、毎朝の自分の憂鬱さを呼び寄せているんだなと感じる。

 

飲み会もランチも、もういらない。回顧したり感想もらったり、同情したりしてもらえなくても全然いいから、さっぱり居なくなりたい。

 

あんなぐちゃぐちゃな兼務期間、まともに覚えられた事なんて無いのに、引継ぎやらせるんだね、というのは未だに思う。

 

もちろん、教えていただいて自分で回せるぐらいマスターしたことはお伝えする必要があると思うけど、

 

新しい社員の本当の成長よりも、辞める社員への嫌がらせを優先するんだなっていう発想になってしまう。もう良い風には捉えられない。

定時後に仕事振ってきたりするし、本人はそんなつもりないかもしれないけど、この人辞める人間だからと嫌がらせしてんだな、って咄嗟に思う。

 

人を良いものだっていう視点で見たいのに、頭では分かっていても心では無理。

 

もう私はその人達がどうなろうと正直どうでもいいし、どうでも良くないと思ったら辞めてないし。良心で色々やってはいるけど、気を付けないとその良心にのし掛かって来られて損するので、どうしても身構えるようになってしまうんですよね。

 

これぐらいやれるでしょ?って、感謝もせず当たり前のように。ああいう類の輩が私は一番苦手。

 

早く終わらせたら「こいつまだやれるな」と思われるけど、自分としては考えを引き伸ばしたくないので早く片付けてしまいたいという思いが重なって、複雑。

 

良心にのし掛かられるだけだから、頑張るだけ損するんだと、今の職場からは勉強させてもらった。天井が見えてるというか。

 

周りが楽しそうにしていても、私は違う人間だから同じように思えなくて当然なんだなということもあらためて分かった。

 

でも、そういう場所を卒業する決心が出来て本当によかったな、と思う。