仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

自分自身で折り合いをつけるということ

起きられないとか、夜中に目が覚めてしまってそこから眠れないという日が続いていて、辛かったので心療内科へ行ってみたのですが、

 

まず、

・兄弟いるか、結婚や同棲はしているか

・学歴や卒業後のこと

・何か不調のきっかけと思えることはあるか

などをささっと聞かれました。

 

それを答えた後、

「仕事いつまで?」と聞かれ、3月末ですが実際の出社はあと1週間ぐらいです、と伝えたら、

 

「もう辞める事決まってるのね!それなら、後は睡眠導入剤出すから。様子見てもらって、退職日まで過ごしてください。

 

退職日の翌日にまた来てもらって、それでも不安感が残るようならまた考えましょう」

 

とのこと。

 

ちょっと拍子抜けしてしまったんだけど、

 

私の場合はもう体調不良の原因がはっきりしていて、在職中なら(多分、休職などの)今後どうしようかという話になるらしいのだけど、既に退職が決まっているのならあとは今後のことをちゃんとすれば回復していくという見込みなのだそう。

 

先生が「はい、終了!」って感じだったので、逆に良かったのかもしれない。私の症状であればそんなに重く考えることないんだなと思った。

 

精神科医も反応が難しいんだろうと思った。あまり一緒になってズドーンと落ちても患者は自分の症状を重く受け止めちゃうだろうし、「そのぐらい何でもない」みたいに話してしまうと患者は絶望するだろうから。

 

睡眠薬はもらえたし、夜中に起きてGoogleで「無職」とか「うつ状態 つらい」とか検索してまた不安になって眠れず、体が重いまま一日を過ごすってことが減るかもしれない。

 

市販の睡眠導入剤(ドリエル、ネオデイ、スリーピンと色々試しました)だと、効き過ぎて朝起きられなかったり。睡眠導入剤って大体1回2錠なんだけど、スリーピンは1錠で済む代わりに錠剤が大きすぎて気持ちが悪くなってしまったり。

 

昨日はアルフェオフというドリンク剤を飲んで寝たら、1時に寝て朝8時前には自然と目覚めてスッキリしました。自分に合っているのかも。

 

私は今弱っているだけで元来は多分そんなに弱くないし、今は不幸で「居たい」だけのかなと何となく感じたんだよね。

 

不幸だ災難だと言ってその場に留まっているのは簡単だし楽で、そういう期間も必要なんだけど、多分人間はいつかどこかで、自分の力でまた立ち上がらないといけない。

 

生きるって厳しいけど、だから楽しいことに目を少しでも向けていくんだろう人は、と思う。

 

私は正直に言って自分の状況を不運なように感じてずっとそれにこだわっているし、周りに分かってほしいっていう執着が未だにあって、辞めることに対する正否も分からず、今後のことを考えると崖を前に立ちすくむ感覚になることがあります。

 

この立ちすくむ感覚で、朝動けないことが何度もありました。

 

耐えられなくて辞めてしまったけど、それでも誰も、自分の人生を代わりに生きてくれるわけじゃない。周りは色んなことを言ってくるかもしれないけれど、その人は自分の人生に責任を取ってくれるわけじゃありません。

 

だけど周りの言葉や反応っていうのはやっぱり自分に色んな事を感じさせるし、私は辞めることにずっと不安しか残っていなかったけど、意外とそんな風に自分を追い詰めているのは自分だけなのかもしれないと思うこともありました。

 

今日の先生も、「辞めるの決まってるのなら良かった」ぐらいな雰囲気でそれ以上でも以下でもなかったし、

 

再就職のことを色々言ってくる人もまぁたまにいるけど、別に「そっかーもう終わりか」ぐらいな反応が大半で、深刻なのは自分だけなんだよね。

 

私を大切に思ってくれている家族や友達は、辞めることに関するどうのこうのというよりも、それを通り越して「もう辞めるんだから正直そんなの(会社のゴタゴタとか)どうでもいいよねーもう。」「1年ぐらい休んでもいいんじゃない」みたいな会話になることが多い。

 

結局、自分がどう考えるかだけなんだなと思います。

 

別に誰も、苦しくて、頑張っても仕方ないんだなんて思う場所に「絶対に留まってください」「何があってもしがみついて生きてください」なんて言ってない。辞めたって、自分が自分自身であることには何も変わりはない。

 

仕事に関してはやっぱり、最後なのに(最後だから?)理不尽なことが出てくる。今の部署に指示されたから元の所属部署へお願いした事が、途中から今の部署の人に寝返られて、私が元部署へ無理難題を押し付けているみたいに誤解されたり。

 

すごく嫌だった。また懲りずにここで頑張ってしまったんだ私は、とひたすら後悔しました。もう誠意で対応しても仕方がないと、分かっているのに。

 

もう、指示してきたその本人には「何かあれば、私経由ではなく全て自分で伝えて欲しい」と言っておいた。

 

思えば以前からそういう風潮があった。私には何かミスがあれば稟議を出せと言ったのに、同じ内容を引継ぎ先がしてしまった時は「仕方ないね」と大目に見る。

 

何なの?それ。言葉が悪いのを承知で言うと、ホントふざけんなよこいつ、と思う。私が稟議の提出損になるとは考えないのでしょうか。

 

そうい理不尽に対する違和感や思慮は、小さなことのようで人としてはとても大切な事ですよ。

 

悪意があるかというのは相手から何となく感じ取れるのが人間というものだけど、別に心から嫌がらせしてるように見えるわけでも無いのに理不尽というのが、逆に厄介です。そうしたことを人にやらせて平気でいられる、無神経さ。

 

最後ぐらい普通に終わりたいけど、そこにこだわりすぎると誰より自分が辛い。最後だからと今まで起きられない身体を起こしてやってきたけど、きっとそれも無駄な希望になりそうなことが昨日分かったし、思うように送り出してもらえなくても、私はこれでいいんだって思えるようにならないといけない。

 

そういうことが出来てしまう人達はやっぱり、一番シンプルな言葉で言うと「冷たい」と思うから。

 

そんな大切なことを見落とす環境や人に染まらないうちに卒業出来て良かったと、思うべきなんだと自分に言い聞かせています。

 

私は「もう居なくなる人」でしかなくて、だから何を言ってもやっても、やらなくてもいいと、思われている。所詮は使い捨て。在籍した6年間に私自身が意味付けをすることでしか、自分を救えない。人に求めてはいけないんだということを知った。

 

また懲りずに頑張ってしまった。気付くと全力で頑張ってしまう。仕事も対人関係も。何かを良くしたくて、役に立ちたくて。でも裏を返すと、自分はそれだけ実は頑張ることを望んでる人間なんだとも思った。

 

頑張っても無駄なんだと思いながらパワーを抑えて生きることが、私にとっては多分、一番辛いことなんだと分かった。

 

頑張るのやめましょう、頑張らなくていいんだよっていう言葉には何度も何度も救われた。でも、それでもやっぱりいつかはまた「頑張って良かった」って、思える人生にしたい。

 

一番やらないといけないのは、人からの言葉を待つことではなくて、執着を捨てること。自分は成長したんだと認めることなのかなと思います。