仕事と心のDiary

デトックスのための文章

こんな時だからこそ、諦めずに

日中もコロナのニュースで溢れています。「今日は東京都で何人感染」というテロップを見て不安になるばかり。

 

緊急事態宣言を出すかがここ数日の焦点になっていて、難しい問題だなと思う。もちろん、宣言を出せばもっと外出や店の営業などが制限されて経済は大打撃。潰れる企業やお店も今より多く出てきてしまうと思う。

 

でも、やっぱり実質として在宅勤務できない人たちが今も電車に乗って普通に残業などもしながら働かざるを得ない現状を考えると、命は最優先にしてほしいと感じてしまう。

 

ヨーロッパのように、法的拘束力をもって外出禁止にする代わりに企業へ補助金を支給したり、給与の数割を支給したりする制度が出せればいいけど、日本とはそもそも法律のベースも違う。国ごとの法律が違うのだから、国ごとにコロナへの対応も異なるのは地球規模では仕方のないことでもある。

 

でも、今の日本は1日に200~300人の感染者が出ること(=緊急事態宣言を出す要件を満たす日)を「待っている」としかどうしても思えなくて。

 

現状だと、今の”3つの密”などのあいまいな条件ではもう医療崩壊を防ぐには限界が来ているし、強制力を持たないあいまいな条件のもとに自由に行動してしまった人達だけを、責めることもできないと思う。

 

確かに、憲法では行動の自由も基本的人権の尊重もあるんだけど、やっぱり、すべてのベースは人間の命あってのもの。命を守る行動を、という大切なことを国民の良心に頼っていないで、明確な指針なり宣言を出す時期に来ている気がして。

 

感染者が初期で10名付近、という所から40名になり、またグンと今日90名を越した。そしてそれも、何日か前の感染者の数なのですよね。ここから今の、個人の良心ベースでの「自粛」で感染者数が大幅に減るということは、どうしても望みが薄いと思う。

 

増えていく可能性の方が見えてしまっているのに、減る望みが現状見込めないのに、200名などという数を待つ必要があるんだろうか。だってこれはアジアだけではなく、もう全世界規模の問題なのだ。

 

まずは政府が、その宣言をいつでも(というか、これ以上犠牲者が増えないよう早めに)出せるよう、経済対策として企業や個人に補助金や現金給付を行える体制をまず整えてもらうことが必要。

 

マスク2枚なら、みんな個人レベルで何とかかき集めたら用意できるし、そんなポーズもいらないから、それこそ医療従事者へ回した方がいい。それよりも、何億枚も製造しているのになぜ医療現場にすらマスクがないのか…。

 

医療現場で使われる、あの丸い、後頭部に紐をまわすマスクとはまた別の話なのか。

 

まずはお年寄りや、病気の方、妊婦の方の手にちゃんと渡ってほしいけど、それと今や同じぐらい、医療従事者の方へ届けないといけない。

 

何か、こういう時だから、いつまで親や大切な人たちと一緒にいられるかが分からないなという怖さがすごく迫ってくる。震災やウイルスというのは、私達の目には見えない。だから怖い。

 

今までは匿名で「北海道〇歳女性 死亡」などと知らされていて、どこか人ごとに感じてしまっていた人も多いんじゃないかと思うんだけど、70歳という若さで志村けんさんが亡くなって、追悼を見ている間も「ほんとにもういないの?」とどこか実感がなくて。体質や年齢によって、こんなにあっけなく命が奪われてしまうんだということが、実感として迫ってきます。

 

やっぱり、彼の訃報はとてもショックだったし、いつまでも自分に、家族に、無限の時間が用意されているだなんてなぜ考えていたんだろうとも思ってしまいました。震災の時にも感じたはずなのに。

 

昔は、「辛いときも笑おう」だなんてなぜできるの?と思ってたし、笑ったって現実は何も変わらないじゃない、と思ってた。でも、私達はウイルスや自然災害の前では本当に無力で、生きている時間もとても刹那的。

 

だから、そんな短い、自分が生きている時間ぐらいは、笑顔でいないといけないんだなと感じます。暗い時こそ笑顔で楽しいことを、と上を向く姿は素敵だし、今なら本当の意味で、「辛いときも笑おう」の意味が分かる気がしています。

 

事実、こんな時にも笑いの大切さを教えてくれた志村けんさんには感謝しかないし、お笑いや歌で希望を届けてくれる人たちがいて、心が温かくなります。もうダメだと諦めてしまったその時が、私達人類の限界なんだとも思う。

 

とにかく、命を守らないといけない。だからちゃんと栄養を取って、ちゃんと寝て、家族と連絡をとって。目の前のできることから一つずつやっていくことですね、