仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

グザヴィエ・ドランには絶望を描き続けてほしい、という願い。

なんだか静かな映画が観たくて、そしてフランス語が聞きたくて、配信でフランス映画を探しました。

 

かなり突然だけど、グザヴィエ・ドランに関しては今まで1本しか映画を観たことがありませんでした。2016年頃に公開された『たかが世界の終わり』でギャスパー・ウリエル演じる主人公に酷いもどかしさを感じた記憶だけが鮮明に残っていたんだけど。

 


『たかが世界の終わり』本予告

 

でも、やっぱり彼って凄い人だった(だいぶ今更)。Googleで「グザ」って入れただけで名前が出てきた。お蔭様で今日は『マイ・マザー』『トム・アット・ザ・ファーム』と立て続けに観てしまいました。 どちらも主演はドラン自身。なんだこのイケメンは!と思い、演者の名前を確認したらまさかの監督と同一人物ではありませんか。

 

しかも彼、フランス人ではなくカナダ人(ケベック出身)でした。映画好きだったはずなのに、ここまでドランを放置していたなんて私は今までどんな節穴でフランス映画(というかカナダ映画)を観ていたの。

 

そんなわけで(?)、当初「静かなフランス映画」を切望していた私は、結果的に「時折どなり声の聞こえるカナダ映画」を観ることになったわけですが、

 


映画『マイ・マザー』予告篇 グザヴィエ・ドラン監督デビュー作

 

しかも『マイ・マザー』の方がデビュー作なのね。これも『たかが世界の終わり』に通じるものがあって、「どんなに叫んでも努力しても、大切な事だけが相手に伝わらないもどかしさ」というのが、本当によく描かれています。すれ違いというのでしょうか。

 

『マイ・マザー』では、ドラン演じる主人公のユベールが、幼少期にタイタニックを観たという設定でディカプリオに惚れ込んでファンレターを送ったエピソードが出てくるのですが、これはドラン自身の体験でもあり、幼少期から同性愛者としての片鱗が見えていたという表れなんですね。

 

結果的に、そうした彼のセクシャルな面が母親との確執を生み出すのですが、母親とユベールがそれについて口論するシーンも「本当に大切なことが伝わっていない」感じがすごくあり、終始大変もどかしーいやるせなーい気持ちを抱えながら観ることになります。

 

そのすれ違いは、『たかが世界の終わり』で「人生が終わるという時に、こんな伝わらない流れある?」と突っ込みたくなったあのもどかしさと同じ種類のものでした。きっと、世の中の一筋縄ではいかない確執を描かせたら右に出るものはいない。そう思わせるものがドランにはあります。

 

登場人物が思索に耽るシーンでは、その姿が画面の右に映されたり、ともすれば左に映されたりして、心の偏りというのをカメラワークで表現されてもいます。ピントが合っていないその感じに、人間の不完全な美しさが存分に映し出されている。

 

多分、彼自身が生きる過程でそうしたもどかしさと、それでも諦めずに伝え続けたいという葛藤を常に持っていた人なのでしょう。

 

もどかしさを受け入れること、諦めることというのは、いわばグレーの状態でいるということ。そして相手と分かり合えないというのは、心の中に孤独をずっと持ち続けるということです。それは人生で辛いことのように思うけど、なぜかドランの映画を観ると、そんな人生のグレーも愛すべきだと思える。

 

これからもずっと、そのボタンの掛け違いというのを描き続けてほしいと願います。