仕事と心のDiary

デトックスのための文章

職歴書いただけで知恵熱を出す豆腐メンタル

備忘録として感じたことを残すのですが、職務経歴書を昨日作りました。

 

経歴書のファイルを開くのも、最初は気が重くて。前の転職の時の職歴のデータが残っていたのが本当に救いで、もし一から作成することになっていたら何回か憤死していたと思う。

 

でも、書き始めたら意外と進めることもできて。「自分はこういうことを大事にして仕事してきたんだな」と思い出して、少し気持ちは晴れました。相手には100%伝わらなくても、自分自身が理解していれば大丈夫だと思えた。

 

でもその後、書類を作るだけの作業なのに思ったより負荷になっていた? のか、知恵熱的なことになり一気に体調が悪くなってしまい、昨日は薬を飲んで早めにベッドに入りました。

 

今日は朝一でハローワークに相談に行こうと思っていたんだけど、朝食を食べた後でだるさが抜けず再び眠ってしまい、行くことができませんでした。

 

その後は、求人を見ても、TVでニュースを観ても、何をしても沸き起こってくる罪悪感。

 

家族が買い物で午後に家を出た後、ふと自分が情けなくなって、涙が出てきました。前はあんなに頑張れたのに。出かけると決めたら、必ず出かけられた。今はもう、何もできなくなってしまった。なんでこんなに頑張れないのか。

 

ここ最近ずっと自分に対するフラストレーションが溜まっていたのか、ただただ情けなくて、そんな何もできない自分がやっぱり嫌で、涙が止まらなくなりました。

 

「頑張れないのは本来の姿に戻っただけ」という記事があったことをふと思い出し、心理カウンセラーの根本さんのブログを読み返していたら、こんな記事がありました。

 

nemotohiroyuki.jp

 

そんな理想を演じる人たちの深層心理には何があるか?
ひとつは「期待に応えることでみんなを喜ばせたい」という思いで、今までそれで成功してきた、という背景がある。
そして、自分が人に与えられるものとして、期待に応えること、と認識しているのである。

 

「こういうのがきっと自分の中にもあるんだ」と、気づきました。

 

親、上司、同僚。自分の存在価値は、人の期待に応えること。喜んでもらうこと。

 

でもそれだとやっぱり、周りから思うような反応が得られないと落ち込むんだよね…。

 

だから更に虚勢を張ってしまったり、周りの顔色を窺ったりする。

 

裕福で才色兼備などという生い立ちは自分には全然ないけど、それでも西川史子さんのKUDANの話に惹かれたのはなぜだったのか、理由が分かった気がしました。

 

「凄いね」「偉いね」と言われるのは、きっと麻薬みたいなもの。それが効いて走っていられているうちはいいけど、その効き目が切れた時、それでもその先を生きていくのは自分自身なのだと感じます。