誰にでも癒しというのはあると思いますが、私の癒しの一つは音楽です。子供の頃にピアノを始めてショパンやドビュッシーなどをよく教わりましたが、ショパンで言えば静かな曲よりも、革命のエチュードや英雄ポロネーズのようなドラマティックな曲が好きでした。自分では弾けないものばかりでした。
ベートーヴェンの三大ピアノソナタと言われているうちの『悲愴』(第8番)、『月光』(第14番)は特に好きで、めげずに未だ練習だけは続けています。
残りの『熱情』(第23番)は好きというより憧れに近く、トライはするのですが、どうやっても「ベートーヴェンは絶対こんなことを伝えたかったんじゃないだろ」という演奏になり、いつも静かにピアノを閉める羽目になります。
プロが弾くと『熱情』はどのようになるのだろうと探した所、「え、全貌はこんな曲だったの…?」と愕然とします。
ピアノ・ソナタ第23番へ短調Op.57《熱情》ベートーヴェン / 辻井伸行
ベートーヴェンの曲の中には明るいものもありますが、どちらかといえば陽よりも陰の中に美しさを見出している印象が強く、自らの運命に立ち向かう苦悩と、それに伴う激情の表現にはいつも心をえぐられます。
辻井さんは作曲家への敬意というのが非常にあり、楽譜に込められた意図を特に大切にするピアニストだと言われているようです。実際、『月光』の演奏を聴いた時も「ここ、こんな強弱だったんだ」と思い楽譜を確認すると、とても忠実にベートーヴェンの指示を実践していることが分かります。
また、辻井さんのピアノはどの演奏も、ダイナミズムや勢いで飲むような快活さを共通して感じるので、そうした要素を持つベートーヴェンの曲との相性も特に抜群なのではと想像しています。
ダイナミズムや躍動感は、ショパンの『英雄ポロネーズ』の演奏にも感じました。
元々この『英雄ポロネーズ』という曲名はショパンが付けたのではなく、聴衆の一人の発言から自然とこう呼ばれるようになったそうですが、辻井さんのような演奏家の方々が何を想像しながらこの曲を弾いているのか、気になってしまいます。
『ラ・カンパネラ』の印象が強いフジコ・ヘミングさんが奏でる『英雄ポロネーズ』は、当たり前ですが、また印象が全然違うのです。
もしお二人が同じように英雄の姿を想像しながら弾いているのだとしたら、その英雄像もまた違うのだろうと感じました。
辻井さんの方は、ナポレオンやドラクロワ『民衆を導く自由の女神』のマリアンヌのような自由で力強い革命家の英雄像を感じさせますが、フジコ・ヘミングさんの方は、優雅で美しい、どちらかというと聖職者のような英雄像を感じさせる気がするのです。
いつか自分なりの英雄像をもってこの曲が弾けたら、と思いながら、動かない指と今日も付き合います。