「頭だけで生きていたんだな」と、気づかせてもらった本があります。タイトルが少々直球ですが、精神科医・泉谷閑示先生の著書を『Audible』というアプリで聞き読みしました。
余談ですが、『Audible』アプリを初めて使用しました。本の内容をすべて朗読してくれ、自分でページをめくらないので、話の先が見えない分「自分一人で読んでいたら多分ここは読み飛ばしていただろうな…」と思うような箇所があったとしても、いつのまにか聞いていたりします。
本書では、新型うつのような現代病についての見解が巻頭に書かれているのですが、そこに先生ご自身のいわば「臭いものに決して蓋をしない」医療への姿勢というのを感じました。
心の病も時代と共に変化してしかるべきで、理解ができないからといって医師はその存在を否定すべきではない、というようなメッセージが印象的でした。
中盤、夏目漱石の『それから』になぞらえて、ハングリーモチベーション(=パンのため、体裁のため、がむしゃらに働く)や高等遊民、則天去私などについての話が展開されています。
『それから』で主人公・代助が体現していたのは、「働くとはパンを得るためだけのことではない」という人間の本質です。「パンを得るため」と思っていたとしても、その裏には「この人のために生きていたいから」「いつかこうなるために生き延びたいから」という、何か他の目的が存在しているということです。
そして先生の著書全体を通して伝わってきたのは、「もっと遊んでみなさい」というメッセージでした。すべては壮大な暇つぶしだ、と仰るのです。
非効率なこと、不確定なこと、損しそうなこと。こういうものは可能な限りなくして生きようとしていましたが、それって「思考」でしかない。でも人間には「創造する」という喜びがあり、それは手探りの中にこそ存在します。
未来のことを考える時というのは、どうしても過去の経験の範囲で想定してしまうし、分からないことがあると嫌なんですよね。出来るだけ全部見通したい。非効率なことも面倒くさい。
でも、いくら算段しても運命には太刀打ちできなかったりする。想定が外れたり、思い通りにならなかったりする。
それならあえてガチガチに決めず、自然の法則に身を任せたり、無駄だと思えることも自分の元に縁あってやってきたのなら取り組んでみることで、肩の力が抜けるのかもしれない。自分なりに則天去私を実践してみるのは、ありなのかもしれません。
※則天去私は、本書の中では「これだ!というものが見つかれば、自分自身への執着は自然と消える」というような表現で登場します。
壮大な暇つぶしという考え方、いいなと思います。