仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

人と同じじゃなくても、落ち込むことない。

少数派だから自分は普通じゃないんだとか、人と違うから自分は駄目だなんて、いつの間に考えるようになったんだろう。ただ純粋に、違いがそこにあるだけなのに。

 

「普通がいい」という病 (講談社現代新書)

 

泉谷閑示先生の書籍を買ったら、店員さんが付けてくれたしおりに『伊坂幸太郎 逆ソクラテス』と書かれていて、裏返したら「決めつけばかりの世界に、反旗を翻せ」と書かれていた。本としおりがこんなにマッチしてることってある…!?と少し感動する。

 

先日読んだ同氏の『仕事なんか生きがいにするな』の印象が残っており、他の本に興味があって『「普通がいい」という病』を読み始めた。

 

中盤は内容が難しそうな印象。まだ第一講しか読んでいないが、確かに人はこう考えてしまいがちなのではないかと思う。少数派の人に出会ったり、自分が少数派になった時に、相手の方が/自分の方が「異常なんだ」と。

 

でも、こちらは正常であちらは異常だなんて一体どうやって決まるの?と改めて考えると、確かに常識に左右されているだけなんだよなと感じる。

 

多くの人がそうであるからといって、自分も同じようにできるとは限らない。自分ができることでも、他の人には無理ってこともある。別にどちらがおかしいも普通もない。だって、人が違うのだ。

 

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一人ひとり何ひとつ同じことなどないのに、多数決で作った枠に全員をはめて皆で同じような生き方をしようだなんて、息が詰まりそうだ。

 

何かに関してたとえ少数派だからといって、自分に「異常」とか「難あり」などのレッテルを貼ること自体、そもそも不可能なことなのだと思う。

 

そして、泉谷先生の「不幸印のギフトは、自分が気付くまで何度も届くんだよ」という考え方が好きだ。精神的に辛い時、苦しい時。病名が付くかとはまた別の所で誰にでもこういう時はある。でもそんな時期、この言葉を思い出せたらいい。

 

この記事で、著者の方が話していたのも同じような感じだった。 

wasuresasete.hatenablog.com

 

体や心って、ただ薬を飲んでればOKというものじゃないんだな本当に。

 

本当に人が救われるということは、その人の中に潜在している力や眠っている知恵が目覚め、動き出してはじめて成されることです。 

 

ただ今日の夜とにかく眠りたいからとか、今日だけは落ち込んでいるわけにはいかないからと薬に頼ることがあったとして、確かに一時的にはそれで救われる。でも本当は、長い目で見て人が本来の「目覚めた」姿に戻るために薬があり、医師がいる。

 

不調は憎たらしいが、「ま、これも何か教えてるんだろうな自分に」ぐらいに少しの引っ掛かりを持ちながら生きることができたらと感じる。