仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

たまには言い訳したっていいし、逃げてもいい。King Gnuの『白日』は現実でも。

たまに自分が持っているすべてをリセットしたくなってしまうことがあって、それが今までの環境や人間関係の変化に繋がっていたなと思うんだけど、そんな私にある時、King Gnuipod(第2世代。古…)越しにこう歌ったのです。

 

真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
へばりついて離れない
地続きの今を歩いて行くんだ

 

た、たしかに…。随分と現実突きつけてくる。まるで『嫌われる勇気』を初めて読んだ時の、あの逃げ場のない感覚と同じじゃないか。

 


King Gnu - 白日

 

去年この曲をよく聴いていた頃は、「地続きの今」っていうのがすごく重く自分の中に響いていました。今聴いても、それは変わりません。どんなに何かを捨て、どれだけ遠くへ旅に出たとしても、それは自分にとって一時的なものでしかなかったからです。

 

いつかはまた自分自身として戻ってきて、日常を歩いていくことになる。それが意外なほどしんどくなる時期というのが、人生にはあるものだと感じます。多分、どんな人にとっても。

 

だけど、たとえ「地続きの今」だとしても、それは絶対に「ずっと同じ道」ではないんですよね。昔に比べて理解できるようになったことも結構あって、視野が狭まったり広がったりを繰り返しながら、見える景色も必ず変わっていきます。

 

真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
首の皮一枚繋がった
如何しようも無い今を
生きていくんだ

 

そして、首の皮一枚繋がって、そこから踏ん張らないといけない瞬間っていうのが人生には確かに何度もある(そしてそれは不可避だったこともあれば、自分からわざわざ飛び込んで機会を作り出したようなこともある)けど、

 

そのことがこうやって才能ある人達の手で歌詞として世に送り出され、たくさんの人に支持されている現実を思うと、誰もが少なからずこういう思いを持ちながら生きてるのかもしれない、きっとそうなんだろうと感じさせられるのです。

 

book.diamond.ne.jp

 

アドラーは「どんな状況であっても、自らの目的と望みに沿った感情を”君が”選んでいるだけなのだよ。ふぉふぉ」と片手にルネッサンスで言うかもしれない(※主観入ってます)けど、そういう時期があってもいいんじゃないかな。

 

首の皮一枚繋がって地続きの今を生きていくには、降りしきる雪の中に隠れることも必要なのだから。(King Gnuって、今更だけど凄い。ドラマ主題歌だったみたいだけど、仙人みたいな歌詞…)

 

首の皮を自分で離してしまいそうなら、好きなだけ雪の中に隠れて、たくさん言い訳もしながら、自分のペースでゆっくりして、「取り返しのつかない過ちの一つや二つくらい誰にでもあるしね」って最後に言えればいいんだと思う。それがいつなのか、今は分からなくても。

 

時間はかかるかもしれないけど、ここ歩いてよかったなって、心から思える日がやって来るといいなと感じます。