仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

「少数派」で生きることを否定してほしくない。

「ちゃんとしたことを書かなければ」と思うと、書けなくなるものだなと感じていた。でもブログっていうのは何か別に良いことを書けなくても、今の気持ちを記すだけで、知らない所で誰かの何かしらになっていくのかもしれない。私がそれで気づきを貰ってきたように。生きることそのものが、作品になるのかもしれない。

 

大きな賞を取らなくても、自ら出版社や企業に自分を売り込まなくても、自分でインターネットを通じて作品を発表できるようになった。創作や芸術というのは、有名なアーティストや「先生」と呼ばれる階層の人達だけの特権ではなくなった。

 

生きているだけで、誰もが自分を作品にできる時代。そう考えれば、人と違っていることはそれ自体がレアな絵の具を与えられているようなものだ。この社会でマイノリティであればあるほど、誰も手の届かない作品になる。そんな風に選ばれた人達の存在がある。

 

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だから自分のマイノリティな部分を憎んで、隠して、まるで無かったことみたいにしてしまうのは悲しい。そもそもマイノリティなんて呼び方自体が無くなるべきだと思うけど、今ここで言うそれは社会の一般的なルールや世論に合わないような自分の気質・趣向など、アイデンティティに関する全般のこと。

 

「みんな一緒に同じように」というのは、その方が都合がいい誰かの存在があるから。最近では議員のLGBT差別発言があったけど、78年も生きていて蓄えたのがあんなお粗末な思考だと思うと、これからの時代に生きることの可能性や恩恵を深く感じる。

 

「10人に1人」や「5人に1人」と付くような性質を持つというのは、苦労を背負う分だけ、より多くの真実を見る目を与えられているようなものだと思う。それを使って自分にしか見えないものを極めていけば、世の中は素敵な作品ばかりになる。