仕事と心のDiary

デトックスのための文章

大事だと思っていたものを全部捨ててしまった話。

暗すぎる話でもおめでたい話でもなく、ただただ、自分は空っぽになったと思うことがある。

 

今年は全部捨ててしまった。数年続けた仕事も、6年住んだあの大好きなアパートも、気乗りがしない付き合いも、資格のための勉強も。可愛いけれど足に合わないヒールの靴も履かなくなったし、何となくずっと使い続けていたマグカップやコートも捨て、辛い時に笑うことをやめた。

 

無理して維持するのをやめたら、まったく生産性のない自分になった。ゼロに近い状態から、他人の目線やプライドを抜きにしてまた何かを選んでいくことは、結構苦しい。変わるというのは簡単じゃないんだと思った。

 

そして、今まで何の疑いもなく常識だと流していた色んなことが信じられなくなってしまった。企業が「副業禁止」などと人々を普通に縛れていたことも、週5日・1日8時間以上という勤務時間がモデルケースになっていたことも。幸せに違いないと思っていた素敵な俳優達が、この世からいなくなってしまったことも。

 

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大事だと思っていたことが全然大事じゃなかったと、気づくことが増えた。生きることに息切れした時は、何か特別なことができなくても、とりあえず息をする。最低限のことをして、靄の中でただ存在するように時間を繋ぐ。そんな時期があってもいいんじゃないかと思う。人生は長距離走だということが見えてきた。

  

いつも不安や怖れから自分を走らせてきた。この繰り返しをもうやめたかったから、私は大事だと思ってきたものを捨てた。焦りから行動するのではなくて、「したい」と自然に思えるまで、待ちたいと思う。

 

「人がやっているから自分も」という考え方はもう疲れてしまった。極端な話、生きてさえいればいいと思うようにもなった。鎧に潰されそうならそんなもの捨てて、何もない自分に戻ればいい。元々は授かった命だ。やりたいことが見つからなくても、効率が悪くても、誰もが平等に寿命までをまっとうする。本来そういう、シンプルな話なんだと思う。

 

色んな物を手放したから、何も出来なくなった駄目な自分を捨てずに済んだ。自分のサイズと速度で進んでいけば、それでいいのかもしれない。