仕事と心のDiary

デトックスのための文章

祈ることしかできなかった11月の話。

書くのが久しぶりになってしまいました。もうすっかり寒いというか、寒すぎるというか。眠る時に鼻がひんやりすると冬を感じます。

 

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今年は仕事とか一人暮らしとかをやめたのですが、そうした変化は序の口だったようで、11月に母親が「S状結腸憩室炎穿孔(Sジョウケッチョウケイシツエンセンコウ)の疑い」という、なんとも難しい名前の病で入院しました。

 

盲腸はお腹の右下ですが、S状結腸はその反対側。母は大腸の下の方(つまり、便とさよならする最終関門付近)に穴が開いている可能性がありました。穴が開くとお腹全体や全身に菌が回り、助からない可能性も高い、結構怖い病気です。

 

なにせ、糖尿病・高血圧・脂質異常・甲状腺(入院時に判明)と取り揃えている母ですが、そもそもの発端は風邪のウイルスでした。糖尿のために少しずつ減量していたのが良くなかったよう。10月から微熱が続いていて町医者にかかった際は「風邪からくる”亜急性甲状腺炎”でしょう」との診断でした。

 

同じ甲状腺でも、急性のものはロキソニンなどの薬から効き具合を見ていくことが多いのですが、薬を増やしても一向に回復せず、かといってPCRは陰性。次第に心臓がバクバクする症状(バセドウと酷似)が増え、ある週末に高熱が出たため救急車で搬送してもらうことに。

 

救急車って、たまに患者を乗せてからしばらく走り出さないことがあって、「急がなくていーの?」と傍目にいつも不思議だったんだけど、あれは救急隊員の方々が搬送先を探してくれているからなのだということが今更ながらに分かりました。

 

腸の炎症による熱があった母の場合、コロナもあり、搬送先がなかなか見つかりませんでした。遠方の病院がなんとか受け入れてくれ、そこであらゆる検査をして判明したのは、細菌感染で肺に水が溜まっている→心臓を圧迫→肝臓や腸にも炎症、という流れ。そこではっきりと「甲状腺は亜急性ではなく本格的なもの」とも診断を受け、炎症の方は薬で治療可能とのことで処方されて、その日はやむなく帰宅。

 

しかし翌朝病院から連絡があり、「腸に穴が開いているかもなので、やはり入院が必要」とのこと。え!?腸に穴だって…お腹はそんなに痛くないのにね。とりあえず準備しよう、ということで荷造りしていたら、病院から「急いでください」と再コール。

 

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その時は、まさか母のお腹が便だらけ(※お食事中の方すみません…)になる危険性があることまでは認識できておらず、とにかく急いで向かうと、「もっと大きな病院で受け入れ先が見つかったので搬送する。そこの判断に従ってください」と。

 

コロナなので立ち合いはできず、1時間ほど別室で待機して先生から告知されたのは、「このままだと全身に菌が回る可能性があり、そうなってしまうと助からない可能性が高い。数日間は抗生剤と絶食で様子を見るが、危ない場合はすぐ人工肛門の手術が必要」と。

 

人工肛門で生活されている方は世の中にたくさんいると思いますが、初めて聞くとやはりショックが隠せず、何よりこのコロナ禍で、母とはこれから絶食する2週間会うことができない。その間に何かあったら?まさか、今会うのが最後…?

 

本人は「そんなぁ、お腹そんな痛くないのに…」と言ったきり、放心状態。晴天の霹靂とはこういうことを言うんだと、身をもって知りました。

 

結果から言うと、母は下記のような出来事を経て、40㎏台の少し小さいサイズになって20日後に家に戻ってきました。

 

・絶食するにあたり、細い管では栄養が間に合わない(母は持病で高カロリーの点滴を受けることができなかった)ため、体内に太めの管を入れて栄養補給 ※ちなみに、母はなぜか高カロリーの点滴を「ごちそう点滴」と呼んでいた

・点滴をしていると頻尿(ほとんど薬液)になるため、ライフリー「長時間あんしんうす型」紙パンツを愛用(一応、4回分も吸収してくれる)

・「重湯には味の濃いおかずが欲しい」とぼやく

抗生物質の点滴を長期間していた影響で、肝臓の数値が超悪化

・逆に、従来あばれていた糖尿の数値はナリを潜め、看護師さんに「飴なめてもいいですよ」と許可をもらう

・退院間近にカツを食べたとのことで、こちらが絶句(病院食で3切れだけ出してくれたとのこと)

 

結果、分かりづらい位置にあった患部は穿孔にはなっていなかったけど、あと数日遅ければどうなっていたか分からないとのご判断でした。救急隊員の方々、看護師さん、そして先生方の親身で細やかな治療によって救われた命です。どなたかでも欠けたら、今の状況はないと思う。本当に感謝しきれません。

 

そして本当に気が動転したり絶望した時って、情けないけど祈ることぐらいしか出来ないのが現実です。

 

今までは、海外などで教会を訪れて祈る人々の姿を、どこか自分とは別世界のものとして傍観していた気がしますが、祈りは、自分が自分の力だけで生きているのではないということを確認するためのものでもあるのかもしれません。健康が一番大切です。