仕事と心のDiary

デトックスのための文章

頑張りすぎた時に思い出したいこと

最近、調子がいい時に何かを詰め込み過ぎたり、気づかないうちに頑張り過ぎたりして、ある日電池が切れたように何もかも嫌になって動けなくなる、というサイクルになっています。やることが多かったり、心配や考え事で頭の中が忙しいと、「このペースでは長くもたない」ということを忘れてしまったりします。

 

先日久しぶりに、友人と遅くまで電話しました。「最近しんどいんだよね」というのを聞いてくれて、それを出せる場所が今の自分には必要だったんだと気づくきっかけにもなりました。

 

家のことや、他のことも色々。一人の時というのはどうしても内に閉じて自信がなくなるし、考えても仕方のないことまで悪く考えたりする。でも、そんな時こそ「気楽に」がいい。「必ず良くなるタイミングが来るし、縁がないものは経験しなくていいんだから」と、友人は言ってくれた。

 

そもそも「まだできる」と過信してやり過ぎてしまったから、長い間休まなければならなくなってしまった自分です。気落ちする事が重なる時期はあるけど、自分のペースを大事にしたい。

 

時々、(何やら抽象的だけど)「自分は人生のどの位置にいるんだろう」と考えることがあります。ふとした拍子に、なりゆきで、または予期しない形で導かれる素敵なご縁や心から安心できる時間というのものは、この先の自分にも用意されているんだろうか? など、どうしようもないことばかり考えます。分からないことを「楽しい」と思える自分になることは、結構難しいです。

 

日々の中で幸せを見つけるのも、大切な能力の一つだと思います。気がつくと目先の「~しなければならない」に流され、感性をもって一歩立ち止まるというのが出来ない時がある。「なぜこんなに疲れるんだろう」「こんなにエネルギーがすぐなくなってしまうんだろう」と悲しくなることもあるけど、それが自分です。

 

「人から聞くだけだとしっくりこなくて、自分で経験しないと納得できない性質だから、今までの出来事も自分らしいと思っているし、それはそれで悪くないと思うようにしている」と友人は話してくれて、本当にそうだよなと思いました。

 

私が好きな映画に、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』があります。

filmarks.com

 

落ち込んでいる誰かの前で普段と変わらない明るさを見せる家族の姿だったり、ついさっき大切な家族を失った人達の横で、新しい家族の始まりとして挙式をしているカップルがいるというように、「悲しみの隣にある希望」のようなものが描かれている映画でした。

 

どんなことの中にも、幸運を感じていたいです。誰かの声が聞けたり、頑張っている姿が想像できたり、自分のことを思い出してくれたこと、何かを捨てた代わりに新しいものが入ってくること。色んな幸せがあって、目を向けるかどうかの問題だけ。

 

頑張りすぎてしまった時には、そんなことを思い出したい。