仕事と心のDiary

デトックスのための文章

情熱を失くした時の処方箋『自分の中に毒を持て』

Netflixで『シェフのテーブル フランス編』という番組が配信されている。ミシュランシェフなどの日常を追ったドキュメンタリーだ。これを観ると、シェフはもちろん食材の作り手も世界中のレストランを創造しているのだと気づかされる。カキ一つとっても、フランスでは小さいカキの需要が多いが、大きいものを仕入れたいというシェフの意向があれば育て方を一から変えて数年単位で様子を見る。

 

昔、何かの番組で「フランスには”スシのシャリの部分はなぜコメでなければいけない?”などと言い出すシェフがいる」と聞いたことがあるが、一時でも現状維持をしようとする作り手は衰退する。厳しい世界なのだと思った。

 

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変化というのは、その人自身の情熱が成す業だと思う。あと1ミリの甘味を求めて食材を育てることも、同じメニューは出さないと決めることも。変化には正解がなく、「ここまで」と決めてしまえばそれが最終地点になる。そこをあと1ミリ、あと1センチと日々超えていくのは本人の情熱でしかない。

 

人生で何が辛いのかと考える。大切な人と別れること。お金がないこと。病を患うこと。こういうのは全部辛いし、経験したその人にしか分からない痛みだと思う。でも、ゴールのない世界で創作を続ける人達を見て感じた。本当に辛いのは、人生に情熱を持てないことだ。

 

岡本太郎の『自分の中に毒を持て』(青春出版社)の中に、”一度死んだ人間になれ”という言葉がある。

(以下、本文より引用)

自分はそういう人間だ。駄目なんだ、と平気で、ストレートに認めること。

これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、委縮せずありのままに生きていけばいい。これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切だ。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に、制約を受けないで生きていく。

 

「自分はこんなこともできない奴だ」と知ることで、人は生きながらにして一度死ぬのだろう。精神の死。そこから「それでも」と沸き上がってくるのが情熱なのだとしたら、一度死んだ人間ほど可能性を秘めている存在はない。

 

”駄目なら駄目なりに、制約を受けないで生きていく”という言葉が好きだ。「頑張ったのに」という思いや自負があるほど死の期間は長くなる。でも、「私はポンコツなんだ」と腑に落ちて初めて、「じゃあポンコツなりにどうしたら私らしいのか」と自問する。肉体の死を迎えるまでに精神の死を繰り返し経験し、人はマグマを地上へ押し上げていく。誰もが最初から情熱を注げるものを得ているわけではない。

 

ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに、平気で生きることだ。

 

生き生きと噴火する山を「羨ましい」と眺め続けてきた私は、岡本太郎氏の言葉によって、自分のまだ静かな山に引き戻される。どんな山も、生と死を繰り返す美しい山だ。情熱も変化も、まずは自分にOKを出すことから始まるのだと思う。


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