仕事と心のDiary

デトックスのための文章

夢を楽しむ。

変な夢を見た。

 

朝、オフィスに向かおうとしている。けれど行き方を忘れてしまい、ショッピングセンターのような場所をぐるぐる回っては、同じ場所に出てしまう。その途中で駅弁の売り場があり、知り合いがいた。選んでいる時間などないはずなのに、知り合いに薦められた弁当と、自分が食べたい弁当のどちらを買うか悩んでいる。その後、どうにも目的地に辿り着けないと諦めた私は、取り乱しながら職場の人に電話をする。

 

変な夢だ、と言いながら、こういう辿り着けない系の夢はよく見ることがある。その舞台はショッピングセンターのことが多く、他にはよく知っている地元の一角だったり、駅だったりした。初めての場所で迷うのはもちろん不安だけど、よく知ったはずの場所に知らない要素を発見することの方が、実は不安かもしれない。

 

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たまに、自分の見た夢に驚かされることもある。普段まったく意識していない人や場所が出てきたり、遥か昔に観たような記憶があるテレビ番組のシーンが映ったりする。それで記憶を辿り、気づく。あの時のことが実はこんなに脳に残っていたんだ、と。

 

人は普段、脳のほんの一部しか使っていないと聞いたことがあるけれど、夢を見る度、私はこれが本当かもしれないと思う。突き出た氷山の一角をすべてと思い生活していても、水中に続く潜在意識はもっと多くの「私」を把握していて、意識的に蓋をした過去から気まぐれに何かを掴み出し、海の上にポン、と投げる。思いもよらないシーンを受け取った私は、何かに見透かされたような、守られているような気持ちになる。私は忘れても、私が忘れていない。

 

普段は見えない海の中に、私はどんなシーンを残しているのか。いま目に見えるものをそんな思いで眺め、夢からの返事を期待する。どんなにおかしな夢でも、潜在意識が創り出す作品を私は楽しみにしている。