仕事と心のDiary

デトックスのための文章

「もうこれ、最悪無くなってもいいや」と一度決めると強くなれる説。

「ちゃんとやろう」と思っても、実際に人はそこまで気にしていないものだと友人は私に言った。もはや彼女は、私のカウンセラーかもしれない。悩んでいる時、友人に相談すると心が軽くなる。自分では気づけないことが出てきて、「絶対だ」と思い込んでいることが実はそこまで重要ではなかったと気づかせてくれる。

 

溜まっているものがどうにもできそうになかった私は、今回も友人に連絡をしていた。

 

友人は、「人を嫌ってはいけない」と知らず知らずのうちに抑えていた私の気持ちを代弁するかのように、いとも簡単にぼろくそに人の悪口を言ってくれた。「それ、私も絶対に嫌。」「邪魔くさいな、ホント。」と。それを聞いているうちに清々しくなった。嫌なことは嫌だと思っていていいし、人を嫌ってもいい。そう自分を許せたら、やっと笑えていた。

 

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昔、嫌なことから逃げられなかった。この状況結構きついだろう、と思われたのか、傍で見ていた人から「我慢強いよね」と言われたことがあった。当時は何とも思わなかったが、私が努力だと思っていたことが、周りには耐えているように映っていたのかもしれない。私にそう言った人は、「自分はこういうことが嫌なんだよ」とよく私に話した。時には、その「嫌なこと」に耐えられず、人と揉めているようだった。そんな日々を経て、彼はいつの間にかお金を貯め、「残りの人生はやりたかった店を開く」と言ってそこを去っていった。なんだかとても人間臭い人だった。

 

友人の話に戻ると、彼女は「こうした方がいいよ」とは私に言わない。私も、友人にそれを言ったことはなかった。ただの偶然なのかもしれないけど、何となくどんなことも結局自分で決めるしかないと知っているからのようにも思える。ここ数日何をやっても血の巡りを感じなかったのが、友人の話を聞きながら心から笑えていることに気づき、体も温まった気がした。私は彼女と話した後、「もう我慢するのはやめよう」と決めた。

 

実際、「嫌なら去ろう」「ここにいられなくなっても別にいいや」と一度腹落ちすると、変に自分を良く見せようとしたり人の機嫌を伺ったりすることが自然と減って、楽になる。嫌いな人は嫌いなままでいいし、理由があることを無理に人に合わせて遠慮しなくてもいい。別に「あなたはいらない」と言われるのなら、それで結構。そんな風に心の中で見切りをつける感じだ。「もうこれ、最悪無くなってもいいや」って。

 

安定とは何なのかを考える。お金があること、仕事があることは確かに世間では安定しているということになる。でもそれらは、人によっては一番の条件にはならない。その「安定」を維持するために、不安定になってしまうからだ。

 

多くの人にとって、会社というコミュニティの中である程度チームワークでお金を稼いでいくという安定の形が、ある人にとっては不安定をもたらす、ということがある。その場合は、同じ場所で過ごす仲間とはいえ、”外部の人”という形でコミュニティに参加する方がその人によっては心地が良いということもある。安定が何かというのは、人によって違うのが当たり前なのだ。

 

世間に合わせようとばかりいると、ゆがむ。「自分には」何が合っているのか。それを優先させていくのは結構エネルギーを使うし、勇気もいる。疲れた時に思いきって休むことも、例えばフリーランスで頑張ってみることなんかもそうだと思う。でも、自分が笑っていられるのならそれが正解なんじゃないか。

 

これからしんどくなった時、真っ先に捨てられるものが一つ決まった。