仕事と心のDiary

デトックスのための文章

ライティングを学んでみて感じたこと。

今ライティングの講座を受講しているんだけど、知らないことが多くて勉強になる反面、どうにもうまくいかないことも増えてしまった。

 

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まず、文章を書く時にテクニックを入れることを考えるのはなかなか難しい。技術的な文章というのが存在するんだと分かったし、例文などを読むと「ああ、こういう使い方すると文章が確かに面白い!」っていうのはある。だけど次第に、もっと肝心なことに気づいてしまった。

 

例えば「オチ」とか比喩、成功に行きつくまでのストーリーとか色んな文章の書き方があって、自分が伝えたいことに合わせてそれを使うと確かに親近感の持てる文章になる。でも、私自身は今、そうした文章の構成を取ってまで伝えたいことがあるんだろうか。そういう、目的方面のつまづきを見つけてしまった。(ツメ甘なやつ……。)

 

例えば、「昔はこんなに〇〇だったのに、頑張ってこうなった!」というストーリーがあったとする。そこから、「□□ということをあなたに伝えたい」という流れ。

 

あるいは何か便利なものやサービスを紹介する時の、「このツールを知らなかった時は〇〇しかできなかった私が、これを使うようになったら3倍できるようになりました!」という流れ。

 

「伝えたい」という思いを持って書く時、文章は「自分の満足のためのもの」から「それを読んでくれる誰かのためのもの」となり、そこで初めてそうした講座で教えてくれるようなテクニックが活きてくる。

 

例えば今の講座にも、「自分が開いている教室の魅力を発信するために文章を習いたい」「ブログで稼ぎたいから文章が上手になりたい」とか、PRなどを含め様々な目的をもった人が集まってくる。でも私は、ただ自分の文章に癖があるような気がしていて、構成も起承転結ぐらいしか知らない。だからそれを直して読みやすい文章を書きたい、と思っていただけだった。

 

だから、「〇〇だった私がこんなに成長しました。▽▽はつまり、□□なのです」という成功ストーリーのような構成の中で伝えたいことがなかなか見つからず、課題提出が苦しい。

 

ブログをただ書いているのはやっぱり楽しいな、と実感した。テクニックとか考えない、その日書きたいことを書くだけの時間。でも、自分がやったことにお金が発生するというのはそういうことだ。対価を得るためのライティングは、読み手に何かを得てもらえなければもちろん成立しないし、その成果がPV数となって表れる。

 

文章には好みがあると思うけど、私自身は誰かに実際に起きた何気ない日々のエピソードの中でどんなことを感じたのか、または過ごし方などを読むのが単純に好きで、小説を読むのも映画を観るのも、そういう所から感情的な何かを吸収するのが楽しいというのがある。自分の場合はただ情報を貰うためだけに普段文章を読んでいるわけじゃなく、目的もなく読んでいることも結構ある。

 

実際にやってみないと、気づけないこともある。興味のあることは取っておかず早めに手をつけてみると、「あれはまだやっていないから」と変に自分の中に未知数の期待を持ち続けることが減る。世の中の稼ぐ人の文章というのは、テクニック一つどころか複数合わせ技でちりばめられていたりするものだということも分かった。これからは文章を仕事として書いている人の努力を、少しは想像することができるかもしれない。