仕事と心のDiary

デトックスのための文章

つかれた夜に。

今日の午後9時の飲み物はココアにしました。一週間、やっと終わり。ココアやカフェラテを手軽に飲みたい時に、よく市販の『カフェラトリー』を飲みます。お湯を注いで泡がなじむ時に、チリチリチリ、と音がして、自然と耳を近づけてしまいます。

 

写真撮るのを忘れてしまったので、昔海外に行った時の写真を。昔から、クッキーやドーナツはなぜか、半分チョコレートがかかったものに惹かれます。

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厄年とかって普段意識しないけど、そういえば今の自分の運気どうなんだろう、とふと思い立って調べてみたら、なんと大殺界(三年間)というやつの最後の年でした。でもこの三年間にあったことを思い返すと、それも何となく納得してしまうかもしれない。来年から種まきの時期だそうで、今はとりあえず得意不得意を把握しておけばいいみたい。占いも、たまに見ると面白いものです。

 

最近忙しかったので、休みを取ることにしました。遠慮したりするのも疲れたので、もうどうでもいいや、と思っている自分がいました。その忙しさが周りに伝わっていなかったとしても、私が周りの忙しさを理解してあげられていなかったとしても、もういいじゃないか、って。

 

休みを取ろうと思ったのは、悲しいような変な夢を、立て続けに二本見たからというのもありました。両方とも、両親や祖母に関するもの。何かあった時、私は今でも亡くなった祖父母のことを考えます。それもまだ元気だった頃、一緒にいた時間のことを。そういうのを幸せっていうんだ、と今更気づいたりしながら。

 

今日Yahooニュースを読んでいたら、コロチキのナダルが昔いじめられていた時のことを話していて、彼が今いじめに悩んでいる子たちに発信したいという、こんな言葉が書かれていました。

 

学校は電車のようなもの。電車で乗り合わせた人は偶然、行く方向が同じだけで仲良しでも友達でもない。学校も近くに住む同じ年齢の子の寄せ集めだから、仲良くできなくて当たり前。でも、一人ひとりが目的地に着くのは大切 

(Yahoo!ニュース 讀賣新聞オンラインの記事より引用) 

 

学校は、電車。いい考え方だなと思いました。それに、もしかしたらそれは、学校という場所だけに言えることでもないのかもしれません。目的地だと思われている場所ですら、人によっては乗り換えた電車のひとつに過ぎないのかもしれない。そうやって、大人になっても何度だって乗り継いでいけばいいんじゃないかと思ったりします。