仕事と心のDiary

デトックスのための文章

やめた方がいいと、わかっていても。

「あーるーこー、あーるーこー、私は元気~!」という小さな子の歌声がループで自宅近くの公園から聴こえてきて、これはきっとあの子が疲れるまで続くな、とぼんやり思いながら自分の地肌に触れて、驚愕してしまった。鏡で急いで髪をかき上げてチェックしたら、まだ本当に小さいけど割とはっきりと、円形脱毛みたいになっている。うそうそ、地肌見えてる嘘……泣きたくなる。

 

あなたとはまるで関係ない世界にいますので、とでも言うように、どこかの少女は「私は~元気ーー!あーるーこ~……」と歌い続けている。そこは「歩くの~大好き~」でしょ。壊れかけのRadioとかですか……?それに、私は全然元気じゃない。

 

こんなことを書くときっと人様にはかなり引かれてしまうことと思いながら、恥をしのんで書くと、最近、地肌を引っ掻いてしまうことが度々あった。やめた方がいいことは分かっていたのに、仕事の依頼が重なった時などに止められなくなってしまったりしていて。抜け毛も少し多いかなとは感じていたけど、元々毛量が多いのと、季節の変わり目だし程度であまり気に留めていなかった。でも、その時一気に血の気が引いたのだった。

 

このままハゲるか、依存症を治すのか。究極の選択が目の前にあると、人はきっと我に返るんですね。そこからしばらく、

・何かに行き詰っても頭を傷つけず、

・シャンプーはエアリータッチで成分はアミノ酸系以外使わず、

・疲れたら働き続けず

つまり、宮沢賢治先生に言わせれば雨ニモマケズ、丈夫ナジハダヲモチ、決シテヒッカカズ、みたいな意志で毎日を過ごしたのだった。幸いなことに、まだ初期だったようで次第に回復はしてきているけど、治りかけの傷を触る時、ほとんど無意識のこともあったように思う。

 

その時に、たまたまこの”みたらし加奈さん”という臨床心理士の方の書かれた記事を読んで、これは進むと良くないことなのだとあらためて思った。自分の状態に目を向けることは大切というか必要、必須なのだと思う。

www.e-aidem.com

 

世間で言われている「メンタルヘルスの不調のサイン」って、家からまったく出ないとか笑顔になる回数が減ったとか、分かりやすいものが多いんですよね。もちろんそれも正しいのですが、例えば唇の皮を剥いたり髪や眉毛を無意識に抜いてしまったり、というのもストレスサインの一種なんですよ。

 

「絶好調の自分を基準にしない」という言葉は、どことなく安心感を与えてくれた。

 

そのことがあって、「今やらなくてもいいこと」「自分がやらなくてもいいこと」をその時々で判断していこうと更に思うようになった。前は、楽しくしていること、笑ってることがなんだかいけないことのような気がした。でも、そんな風に自分を監視しなくてもいい。むしろそういう時こそ、笑ってしまうことが必要なんだとも感じるのだった。