仕事と心のDiary

デトックスのための文章

AM 1:29

仕事していて、何となく「心がおかしな方向に行き始めているかも」と気づく時がある。それは、「何かの確認が延々とやめられない時」だ。

 

さっき確認したのに、不安だからまた確認する。「ここがこうで、こう作業したから大丈夫。でもちょっと待て、大丈夫って何? 本当に?」と考え出す。休日に入る前などは特に不安を持ち越したくないために、この確認願望が高まる。

 

そんな時は、たとえばどこからか流れてくるシャボン玉を一つずつ潰しているのに、次々に吹かれてくるから「もういい加減にして!」とうんざりしている自分自身だったり、掃除機で吸っても吸っても吸えず、実は中のフィルターがパンクしかけていた時の絶望感、あるいは眠る前に雑然と脱ぎ捨てた服が気になって一枚畳んだら、今まで畳んだ服の揃っていなさが気になりだしてエンドレス片付けが始まる時のような神経のヒリヒリした感じ、などを想像する。きっとこの「確認したい」心の状態を状況にたとえるとしたら、そんな感じだろう。

 

結局、自分でやめるタイミングを見つけなければ延々とこの不安はついて回る。「もう一回確認したい」「あともう一回だけ」と。だから最終的には無理やり我に返り、「ここまでやって何か違ってたら、それはそれで仕方ない」と決めてPCの電源を切る。一緒に働く人達に、「今日はそろそろ上がりますね(ニコちゃんマーク)」と連絡を入れて。これは在宅ワークの儀式だが、心はニコちゃんからほど遠い場所にいる。本当は、もっと確認したい。

 

昨日の夜は久しぶりに眠れなくて、1時に目をつぶって次に目を開けたら1時29分だった。「寝た気もするけど、気のせいだったようにも感じるこの29分間は」と思いつつ手元の明かりを点け、最近買った阿佐ヶ谷姉妹のエッセイを開く。

 

「(お姉さん:)みほさんはいつも私の服装を見て「うーんちょっと違う気が」とか言うんだけど、当のみほさんはいつもTシャツにジーンズ、小学生が履くような靴下履いて。あれ、おかしい、どの口が言うのかしらと思うわけです」という下りを読んで、思わず笑みがこぼれる。

 

そうこうするうちにまどろみ、また明かりを消す。そこからいい感じに穏やかな眠りに入るはずが、脳は突如、昼間に起きたある嫌な出来事を記憶から引っ張りだしてきて、私を覚醒させた。そこからの情緒の流れは、自分でも全くもって謎だが、思考が広がりすぎた結果、「なぜ私は生きているんだろう?」→「そこには、意味なんてないんだ」という答えに辿り着き、なぜかとても泣きたくなる始末。

 

窓の外はまだ暗く、途方もない夜が流れ込んでくる。ティッシュで目を押さえ、仕方がないからまた電気を点けて、阿佐ヶ谷姉妹を読む。なんなんだ、これ。

 

結局、何時に寝たのか分からず、朝起きて目玉焼きにソースをかけながら、「う、しんど…。」と思う。でも、食べ始めたら何とか食べられた。その後、仕事はいつも通りに始まったが、今日は何となく、誰かとのやりとりに絵文字なんて使いたくないと思った。とても過剰な気がしたし、絵文字を使う度に、横文字ばかり使っていた昔の上司が「トゥーマッチですよ、これは」と言っている姿がなぜか脳内をよぎる。だから私は今日、メッセージの最後には静かに「。」(マル)を置くことにした。夜中になぜか暴れ出す思考も、この記号のように落ち着いてくれたらいいのにと願いながら。

 

今週のお題「眠れないときにすること」