仕事と心のDiary

デトックスのための文章

適当に選んだけど結構よかった!は、まぼろしだ

今年もあと二か月。早いような気もするし、ここまでがとても長かったような気もする。

 

今年良かったことは、家時間が沢山あったことで、映画をいつもより多く観られたこと。IKKOさんが昔、「しんどい時はいつも韓国ドラマに助けられていた。韓ドラがなかったら私、今ここにいるかわかんない」とアナザースカイで言っていて、それを今になって思い出しては自然と頷いてしまう。忙しい仕事から一人で(かは分からないけど)家に帰ってメイクを落として、晩酌をしながら韓ドラ観て、白いレースのハンカチで目を押さえて大泣きしているIKKOさんの姿は自然と想像ができてしまう。そうした表舞台では見られない「人の姿」を想うと、不思議とほっとしてしまうのだ。人に聞いてもらうことも大切だけど、やっぱりそんなひとりの時間を持っている人は素敵だと思うのだ。

 

人生の選択を軽い気持ちでしてはいけないと感じたのも、今年の特徴だ。自分の過去に、「適当に選んだけど結構よかった!」なんて甘いぼたもちみたいな経験はほとんど無いことに気づいた。適当に選んだものは「それなり」か、逆に「苦労する」というのは確信に変わった。運任せというのは、そこまでやれるだけやった人の特権なのだ。そして何より、今年自分は大殺界だった(一度判明すると、気にせずにはいられない)。選んだことを正解にするには、選んだ道で何かを成すことだけが必要なのではない。そこで何か一つでも学べたら、それは成功だという風に切り替えることのが必要だ。

 

吟味して、納得のいくまで悩むことは体力が要るが大切だ。どんなに想像しても先のことは分からないけど、「どうせ分からないから最初から考えることを放棄して進んだ未来」と、「最初は吟味したけれど変わってしまった現実」はやっぱり違う。自分の過去の頑張りに気づき感謝できるのは、数か月後、あるいは数年後になってからだ。