仕事と心のDiary

デトックスのための文章

なんか、嫌われてもいいかなって。

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最近、朝のお散歩が気持ちいい。紅葉も見られるし、途中の池にカルガモや白鷺がいてすごく癒される。

 

カルガモは必ず番か、何羽かで等間隔に浮かんでいて、白鷺はいつも一羽。カルガモは毎年一緒にいる相手が変わるけれど白鷺はそういうわけではなく、一羽でいる白鷺は相手に先立たれた状態なのだとどこかで聞いたことがある。たまにカラスが飛んできてカモが驚愕したり、白鷺の元に別の白鷺がやってきて威嚇(と言う名の誘惑?)したりしている。白鷺はその場に立っているだけで何だかこちらの気持ちまで引き締まり、その周りをぼてぼてとしたカルガモ達が浮かんでいるのもとても可愛い。白鷺とカルガモは、お互いのことをどう思っているのだろうか。

 

昔、家のベランダに美しいブルーの丸まる太った鳥がやってきて、籠には入れていないけれどしばらくうちに居たことがあった。パンくずを置いたら食べたから、本格的に餌を買ってきたらその日にどこかに飛んでいってしまった。飼っていたわけでもないのに、その日は何だか寂しかった。鳥達はきっと、自分達がどれだけ人間をほっこりさせているかを知らない。以前、東京のどこかでカルガモの親子が道路を移動した時、警備員が守っていたというニュースもあった。本当に大事な仕事だと思う。

 

話は変わって、先日友人と長電話した。気づいたら、掛けっぱなしにしていた三時間ほどの映画が終わって、夜中も一時を過ぎようとしていた。ほとんどが日々起きたことや、一緒に過ごす人達のこと、今年できなかったことや、来年からやりたいことの話だった。その流れで「そういえば、ここ三年まさかの大殺界というやつだったんだけど」と話したら、算命学という新たな占いの話になり、それが他と違って詳細だというから、ためしに星を調べられるサイトで結果を見てみた。

(ちなみに、私が見たのはこちらのサイト:【無料命式】自分の命式を知る | 算命学Stock )

 

そうしたら、自分は何やら二つの「中殺」(生年天中殺と、生月天中殺)という星をもっているのだという。なに? 怖い怖い……、と思いながらサイトを読み進めると、

もう自分以外頼れるものはない、といった感じです。

生年天中殺によって親には助けてもらえず、生月天中殺によって社会で生きづらさを感じるわけですから、精神世界に身を投じて自分を高めようとします

※『算命学Stock』サイトより引用

 

自分以外頼れないとまでは思わないけど、生きづらさというワードには思わず反応してしまった。自分を高めるなんて美しいものでなく、日々を乗り越えるためにやむを得ず色々調べているという方が合っていると思う。占いは科学的な根拠はないけれど、普段悩んできたこととピントが合うと、ポッと胸のつかえが取れるような思いになる……って、まさにこうやって人は占いにはまっていくのか。なので占いは、時に自分を良い方にもっていく一つの道具として。「ああ、それならこの状況も無理ないか」って思えたら、十分ということにする。

 

最近も日々の悩みは変わっていないけど、こういう風に居たいというのはあって。やっぱり、自分を変に折り曲げないことだ。「変なことはしていない」「悪いようにはしていない」と思えるなら、別に人に合わせる必要なんてないんじゃないかと思う。「好きになろう」「仲良くしよう」と踏み込むと自分の場合苦しくなるので、必要な時に会話できればそれで全然OK。余計なことはしない。嫌われることを怖がってばかりだと、自分らしさも無いし何もできないよなと思うのです。それを今年の残りの課題ということにした。