仕事と心のDiary

デトックスのための文章

家にいたっていいじゃないか

今日は朝の散歩をお休みし、始業までぼんやり過ごした。厚手の部屋着でベランダに出て、ひんやりした空気と微かにぽかぽかした朝日に当たるのが好きだ。スズメも来たりして可愛い。これをやるたびに「やっぱり夏いらん」と思う。

 

この前朝散歩をした日、前を足早に歩いていく友人の後ろ姿が見えた。あるきっかけで先月10年ぶりぐらいにご飯に誘ってくれて、近くでランチをした友人だった。彼女は10代の頃にいじめが原因で心を病んでしまい、それから頑張って働いた期間もあったのだが20代半ばぐらいからまた調子を崩し、以来ずっと家にこもりがちだった。

 

ランチした時、私は自分が話せるようなこともあまり見つからず、ほぼ彼女の話を聞いていた。彼女は色んなことをとても深い所まで考えている人で、だから立ち上がろうとしたタイミングで周りから色んなことを言われると気持ちがしぼんでしまうんだろうと感じた。でも話を聞いていて、外に出ていく時期は近づいているような感じもした。家にいることに、罪悪感や肩身の狭さを嫌というほど感じていた。休めていなかったのだ。苦しんでいた。

 

彼女の悩みを聞いて、私は背中を押せればよかったのかもしれないけど、仕事を始めるということについて彼女が私に相談してきたのは正直間違いだったかもしれない、と責任も感じていた。なにせ私は、人は生まれることを自分で選べないと思っているし、社会に出たら当たり前に働いてお金を稼ぐというシステム側にどちらかというと疑問を感じていて、適齢期に何かをするということについても、息苦しさを感じている方だ。だから彼女の働けてない期間の話を聞いても、逆に共感してしまった。

 

結局、無理する必要ない、としか言えなかった。自分が外に出たいと思ったタイミングで、外に出られたら十分じゃないか、と。いくらそういう期間が長かったとしても、「人に会いたい」「社会に関わりたい」と思うタイミングはふと訪れることもあるし、それを待つのも純粋に怠惰で休んでいるのとは違う。苦しいものだ。

 

でも、彼女はそんな厭世観丸出しの私といても、「久しぶりに本当に楽しかった」と言ってくれた。そのことを思い出して、彼女が外に出ている姿を見た時はなんだか嬉しかった。近くでアルバイトするかもしれないと言っていたし、お店の方面だったから、もしかして。自分からは聞けないけど、もしそうなら凄く頑張ったんだなと思う。

 

気が向かないことをスタートするのは気が向かないけど、それなら私も気が向くことを始めたいと感じて、部屋から昔読んでいた矢沢あいの漫画を引っ張り出してきた。ただ、全21巻のうち3巻目だけがなぜか見つからない。誰かに貸したのか、借りて終わらせたんだろうか。よく分からないけど、3巻でよかった。20巻がない、とかよりもましだ。