仕事と心のDiary

デトックスのための文章

とりとめもない年末年始の記録

美容院に行ったら、担当の方が独立するそうで「よかったら次回は新しいお店の方に来てくださいね」と言われた。やってもらったのは、今回が3回目。(過去に、早業でカットしてくれたにも関わらず「え、終わりですか」などと無意識に言ってしまったあの美容師さんだ。今でも書いていて焦る。その節はすみませんでした……。)それにしても、別の店で前にお世話になっていた美容師さんもちょうど3回やってもらった時に独立し、新店に通い始めて3年ぐらい経った頃、実家の広島に帰って店をやることになったと言っていなくなってしまった。偶然だろうけど、3という数字に何か不思議なものを感じる。

 

最近、腱鞘炎になってしまって腕が痛い。ロキソニンテープ→ピアノ→ロキソニンテープ→ピアノの繰り返しが良くないことは分かっていて、2週間ぐらい弾かないでいたら良くなってきたため、弾いてみたらまた痛くなる。

 

反田恭平さんの演奏を聴いてから、これから長い時間をかけて習得していきたいと思って練習している、ショパンのピアノ協奏曲第一番。やっぱりとても難しい。生きていて最も幸せだった瞬間。心を動かされた景色。そうした人間の歓びの瞬間が凝縮されたような印象の曲だ。楽譜の音を押さえた時に、自分が30年以上弾いてきた楽器がこういう良い音で鳴るんだという再発見もあった。YAMAHAの、鍵盤がとても重いピアノだ。重いのが良いピアノなのかは、未だに分からない。多分、良くないと思うけど。

 


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ピアノをまったく弾かない時期もあった。20代の頃は他にやりたいことが多かったし、遡って子供の頃にはピアノの先生との別れもあった。私が小学生の頃、オペラの仕事を主としていた先生はぜんそくの発作で突然この世を去ってしまった。それは私が物心ついてから、最初に直面した「人の死」というものだった。お通夜の帰りに雪で電車が止まり、「帰らないでって、先生が言ってるみたいね」と母と話したのを今でも思い出すことがある。先生は、私の基礎を作ってくれた。あの時に弾くことをやめていたら、今の私はいない。

 

そして今この年齢になって初めて、心から弾いてみたいと思う曲や、尊敬するピアニストと出会った。作曲家がどんな思いでその曲を作ったのか。その作曲家自身にどんな苦労があり、どんな恋愛をしたのか。私はその曲を弾いた時に、今までの経験の何を重ねるのか。そんなことを考えるようになったのも、今の年齢になってからだ。ただ続けているという理由で周りに「趣味だ」と伝えてきたことや、人に言われてやってきたことが、いつ本物の趣味になるかは分からないものだ。

 

腱鞘炎は12月からあるので、早く治して練習したいが、11月後半から風邪をひいたり頭痛に悩まされたりと、すこぶる体調を崩していた。肩も頭も文字通りのガッチガチだったので、肩マッサージ付きのヘッドスパ(『国際アワード』というのを受賞しているお店)へ行ったら、施術をしてくれたベテランらしき女性の方が「不調のメンテナンスもきれいな姿勢も、年齢が上がるにつれてその人の努力次第になっていくんだと思います」と静かに仰り、「その通り!そのお言葉CMにしたいです」と思いながら、マッサージをしてもらって生き返る思いだった。水の流れる音のBGMの中、気づいたら本気で寝ていた。

 

年末、仕事納めの日は友人と電話。気づいたらまた夜中2時。前に長電話には懲りたはずなのだが。いらないものは捨てようとか、適切な距離感って大切だね、などの話をした。仕事のあれこれも聞いてもらってしまった。眠くて最後の方は曖昧だったけど、「友達でいてくれてありがとう」で終話。夜中1時ぐらいから話の核心に移っていくのは、やめた方がよさそうだ。

 

年も明けて少し経つが、今月の目標はひと月をかけて実家の部屋の整理をすること。去年、「久しぶりにあのコート着よう」と思い立って狭いクローゼットから取り出したら変な皺ができていて、唐突に『フランス人は10着しか服を持たない』という言葉が頭をよぎった。どう見ても10数着しか入らないクローゼットに、服を入れすぎて長年無理をさせすぎている感。狭いクローゼットしかないということは、取捨選択のいい機会を与えられているということなのかもしれない。