仕事と心のDiary

デトックスのための文章

好きか、嫌いか

欲しい本があって、でも新品ではなくてもいいかなという思いがあり、Amazonの「中古」の所からどれにしようか選んでいた。「とても良い」状態のものはどれも安かったけど、こちらに届く日程が結構先のものばかりだった。思い立ったらすぐ欲しい方なので、新品にしようかな?と思った矢先、一つだけ、明日届く(他よりは少しお高めの)「良い」を見つけた。画像を見て、良さそうだったのでそれを頼むことにした。

 

翌日、本は私の手元にちゃんと届いた。実物を手に取ると、サイトに載っていた画像よりか割と傷んでいて、”背伸びして「良品」名乗りました!”という感じ。でも、その分待つ時間を短縮できたことに満足していた。私は時間を買ったんだよな、と改めて思った。

 

自分にとって時間はお金よりも大切な存在、もっと言えばお金を費やしてでも得たい存在なのだと思う。たとえお金が発生するとしても、それを得るために意に沿わない時間を余分に過ごすことにはとても抵抗があるし、知りたいことや欲しい物(特に本など、自分に必要な言葉に関するもの)に早くたどり着けるのなら、大抵はそちらを選んでしまう。

 

優先順位は人によって違うから面白いし、衝突もする。いかに自分の大事にしたいものを優先させていくか。そのために、何を犠牲にできるか。自分のいる環境の中で、そうしたことを考える機会も結構多い。

 

対価が発生する時間などは、どうしても「切り売り」のような感覚になることが多い。自分の24時間、もっといえば稼働している16時間のうち、たとえば8〜9時間はこの場所に提供する時間です、というような。それ以上は、「その場所に時間を使いたいか」という気持ち的な所で結構はっきり対応が分かれてしまう。時間を越えた所に残るのは、好きか、嫌いか。どれだけ自分がそれのために頑張りたいと思えているか。それだけ。時間が限られているからこそ乗り切れたり、合わせられるということもある。大事にしたいこと以外、「お付き合い」の箱に入ってしまう。

 

心を回復させる時間。好きなことをする時間。環境に左右されず、自分自身を充実させる時間。大事な人と会話する時間。そういう時間をどれだけ多く持てたかで、きっと先のことも変わってくる。すべてに深く関わる必要はないし、大事なもの以外は諦めてしまうことで楽になることもある。

 

楽しい、好きだと思える時間を守っていくために、私はこれからも好きな物を早く届けてくれるサービスにありがたくお金を払い、19時を過ぎたら「お付き合い」をやめる。大事なことは、そうして守った時間の中に存在していくような気がする。