仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

半沢直樹と、顔が怖い人達についての考察。

「やられたらやり返す!3人まとめてぇ!!」という半沢直樹のCMを観て、堺雅人さんの喉を心配してしまったのは私だけではないはず。やっていることも、もはや営業次長というより捜査一課長になってきている気がします。

 

中野渡頭取も、一時は騒ぐ伊佐山・大和田・半沢のお父さんみたいに見えてしまったし、半沢にとっては毎日が「己の中の死闘」という感じで、大和田から定期的に忠告されないと頭取の存在を忘れてるんじゃないか、と思うこともあります。

 

原作者の池井戸潤さんのインタビュー記事がありました。

 

diamond.jp

 

(池井戸氏コメント)

毎週観ていますが、シナリオがほとんど役に立っていないドラマですよね(笑)。

 

大和田の《施されたら施し返す。恩返しです》も《おしまいdeath!》も、伊佐山(市川猿之助・演)の《詫びろ詫びろ詫びろ……》もありません。

誰がどう決めてああなっているのかまったくわかりませんが、あまりにも変わるから僕にも先が読めなくて、それはそれで面白いなと思って。毎週、楽しんで見ています。

 

あの話題になってきた名言の数々、歌舞伎の人達のアドリブで生まれたものだったんですね。「死んでも嫌だねー!」とか、「土下座野郎。」もそうなのかな。シリアスなシーンなのに、ストーリー以外に注目するポイントが多すぎて笑ってしまうんですよね。アレンジされすぎて原作者すら一般視聴者落ちしているという…

 

歌舞伎役者達の表情はもちろん凄いけど、このドラマはとにかく、悪い人達の顔が怖い。顔を見れば、その人が良役か悪役かが一目でわかります。紀本常務(段田康則)は結構難しかったけど。

 

伊佐山(市川猿之助)は何となく、日焼けした肌に金のネックレスでちょっと悪いことしてそうなチンピラ感があるし、三笠副頭取(古田新太)と箕部幹事長(柄本明)は、そもそも顔が怖すぎる。万が一あそこにビートたけし遠藤憲一さんが加わったら、と想像するとゾッとしてしまいます。

 

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2020年の「強面の俳優ランキング」というのがあったのですが、それによると1位は竹内力さんでした。確かに竹内さんも雰囲気が怖いですが、『半沢直樹』出演者に見られるようなあの「ジトッ…」としたホラーに比べると、まだ爽やかな気がします。

 

そもそも一口に「怖い顔」といっても二種類ある気がしていて、「”暴力団組長”のような肩書が付くことによって初めて怖さを帯びる顔」と、「造り自体が怖い顔」とでは違いがあるように思います。「肩書としての怖さ」と、「形状としての怖さ」とでもいうんでしょうか。

 

それでいくと竹内力さんや2位の宇梶剛士さん、小日向文世さんなどは「肩書としての怖さ」に入ると思うんですが、古田新太さんと柄本明さんは「形状としての怖さ」に入るから、もう何がどう転んでも、怖い。それなのに肩書まであるんだから、『半沢直樹』はスタートから違うんだな、とか思います。

 

もっと顔の怖い人を集めて、シーズン3もやってもらいたいと感じます。

本当に欲しいものを買うのにも、自己肯定感って必要だ、と思う話。

本当に欲しいと思った物を買うというのは、当たり前のことのようで結構難しかったりする。たとえお金があっても、「自分には良い物などもったいない」という思いがあると買えなかったりする。

 

意識するしないに関わらず、何かを買う時の判断基準というのが誰にでもあると思うけど、以前の自分の場合を考えると、重視している順に

 

①それが必要であること。

②品質と価格が見合っていること。

③なるべく安めのお値段で目的が果たせるものはないか?

圏外👑自分が本当に「それを」欲しいと感じていること。

 

という感じだった。以前は今と違って、毎月決まった収入があったにも関わらず。その上、高価なものを買った時ですら、嬉しさやありがたみをあまり感じていなかった。酷い時は、買った後で封すら開けずに放置している物もあった。

 

読みたくて買ったはずなのに、結局読まずに「ツンドク」になっている本なんていうのもあったし、上の①~③の基準で選んだものは結局のところ大切にする気持ちが起こらず、短期間で飽きてしまったりもした。

 

それらはつまり、「そこまで欲しくないものが自分の心を埋めてくれるような気がした」とか、「自分には良い物を受け取る資格なんてないと決めていた」とか、気持ちがこんがらがって物とうまく付き合えていなかったってことなんだと思う。

 

断捨離でもそうだが、物と心というのは密接に繋がっている。もっと言えば、自分が選んだ物は「自分が、自分自身やそれを使う相手のことをどう思っているか」というのを映し出す鏡なのかもしれない。

 

たとえば、値段ばかりに気を取られ、「自分が本当に欲しいのはこれだ」という核心から外れてしまったら、物理的には得をしたとしても虚しさが残る。本当に気に入ったならいいが、もし自分がよく使うものを常に条件だけで選んでいるのだとしたら、心のどこかで「こんな自分だし、この程度の物が似合っている」と判断しているのかもしれない。

 

条件ではなく、「好き」という気持ちで物を選び、それを自分や人に与えるというのは思ったよりも大切なことだと気づいた。その物を得ることに価値があるというより、それを得た時、どんな気持ちになったか。それを知ることの方に意味があるような気がする。

 

「受け取る」ということを、軽視してはいけないと思う。誰にとっても、与えるのと同じぐらい大切なことだ。価値を受け取れるかというのは、自分をきちんと許せているか、認めているかという自己肯定が土台になっている。その土台があれば、欲しい物はちゃんと手に入れようと思うし、望みがあれば叶えようとするのだと思う。

 

本当に欲しいと思った物をちゃんと買えることも、必ずしも当たり前ではない、大切なこと。

HSP向けで好きな本・苦手な本。

HSP向けの書籍や動画が今結構たくさん出ていると思いますが、その著者の方自身がHSPをどうとらえているかによって、内容にかなり差があるんだなと感じます。

 

HSPというのは確かに生きづらさにつながりやすい気質だと思うし、それを持っていることによって社会で生きていく上で制約が増えるというのもあるけど、せっかくならやっぱり「HSPだから良いこともあるんだ」「HSPを大切にしていきたい」と感じられるものに出来るだけ触れていきたいと感じます。

 

HSPカウンセラーの方も、ネットで調べるとたくさんの方がいて、”第一人者”と呼ばれるような専門家や医学界の方もいると思いますが、自分は武田友紀さん皆川公美子さんナナコさんという方のブログや書籍が好きです。

 

武田友紀さんは今まで3冊の本を出されていて、自分の過去の行動が代弁されているかのような共感を覚えたのをよく思い出します。自分がHSPを知ったきっかけでもあります。

 

 

『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』では、HSPHSPではない人の感じ方の違いについてまとめられていて、仕事をする上で「自分が楽なら、こういう風にしてしまってもいいんだ」と具体的なイメージが持てた本でもありました。

 

 

『繊細さんが「自分のまま」で生きる本』は、自分が仕事を辞めて今の休む期間に入る前に読み、辞めてからの数か月~その後の気持ちの変化がそのまま記されているような感じがしたのを覚えています。「こんな風に動けなくなる時期がありますよ」「動けるようになった分、気持ちがついていかないことで罪悪感が生まれやすい時期でもありますよ」と、寄り添われている感覚が持てる1冊でした。

 

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皆川さんのブログは、そもそもの前提が「HSP=才能」と捉えられているのもポイントで、「社会がこれからこういう風に変わっていく、それに合わせてHSPの在り方はこうなっていく(と素敵だよね)」という記事が多いので、読んでいると目線が上がるようなイメージを持つことが出来ます。

 

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片付けブロガーのナナコさんという方のブログは、元気が出ない時や何も出来ない時、「なんで人と同じように出来ないんだろう」と落ち込んだりした時に、よく読ませてもらっていました。モノに限らず、「今の自分に不要なものを捨てる」というのは勇気がいるけれどすごく大切なこと。それをせずに心地良さだけ得るのは難しいことなのかもしれないと感じます。

 

そして、最近読んでどうしても「自分には駄目だ」と感じてしまった書籍などもありました。(※個人の感覚なので、すごく合うという方もいるかと思います)

 

 

著者のみさきじゅりさんという方は、キャリアを積まれる中で体調の限界に向き合い、40代半ばで生活の大きな変化(起業や離婚)を経験されたことについてブログや動画で話されていて、それがとても魅力的だったので購入した書籍でした。

 

そもそも、期待していたのとコンセプトが違ったというのが大きいんだと思いますが、本の大部分が「HSPとは(医学・科学的に)どういうものか」「他の精神疾病とどう違うのか」の説明に終始しており、みさきさんご自身の良さがどこかに行ってしまった本のように感じられました。HSPによく見られる特徴が「失敗」として羅列されている印象があり、途中で読むのを断念してしまいました。

 

あと他に、Youtubeで『ココヨワチャンネル』というのがあったのですが、自分が観た動画の多くに「HSPは〇〇は無理だから、最初から諦めた方がいい」という厭世的な空気を感じてしまい、これは人気の動画だけど自分には向かないんだな、と諦めるに至りました。

 

特に「HSPだから何かが特別」ということはないのですが、変えられないものなら、戒めのようにマイナス面を再自覚するよりも良い面や可能性の方を探していった方が楽しいと思うので、そういうものを取り入れながらうまく付き合っていけたらと感じます。

「それはないでしょ」と思った会話(実話)

母「この前〇〇さんとお茶してたら、”この後、キットソンの水を買って帰りたい”って言うから。早めに切り上げて買い物に付き合ったの。」

 

私「キットソンの水?何それ、聞いたことないよ。何か怪しいんじゃないの」

 

母「ほら、あるじゃない。あの、炭酸の…お酒を割ったりする」

 

私「………もしかして、ウィルキンソンのこと…?」

 

 母「あ、そうそう、それ!」

 

彼女達の間でウィルキンソン→(変換)→キャスキッドソン→(変換)→キットソン、という高跳びが起きたのかと思ったが、念のため「キットソン」で検索したら2015年までアメリカに「kitson」というパリス・ヒルトン御用達とのファッションブランドが存在していた(そういえばロゴ、見たことある)。ちなみにその日のお茶のメンバーは3人だったらしいが、全員「キットソン」で意思疎通できていたらしい。キットソンの水。誰の水だよ、怖いよ…。

 

他にも、

 

母「(TVを観て)やっぱり岡本は面白いね~。体調良さそうよね。」

 

私「(別の部屋から)岡本…岡本真夜?岡本呼ばわり。笑」

 

母「違うよ、ほら、ナイナイの」

 

私「……え、岡村?」

 

母「そうそう!岡村!」

 

とか、

  

母「(自分のパソコンを開きながら)あぁ…出てきた。最初におじさんが出てきたら”次へ”を押してって言われてるのよ、お父さんから。」

 

私「おじさん?え、誰?」

 

母「ほら、このオヤジ。定期的にやった方がいいみたいだから。」

 

私「……セキュリティソフトのこと??」

 

母「そうなんだと思う。」

 

 

とか。(このロボットがオヤジに見えるかは割愛とする。)

 

また、母が配信で『LEON』を観ると言うので、「悪役のゲイリー・オールドマン、狂い具合が最高にかっこいいんだよね…でも結末は私もうろ覚えなんだけど。」と話したら、見終わった後に「あの人達、死んじゃったわよ。」と報告を受ける。

 

私は違うことをしていたので、とっさに「あの人達?誰だっけ?」と返すと、「ほら、かっこいいだのドータラコータラ言ってた人いたでしょ?あの人も死んじゃった。」と。

 

待って待って…どーたらこーたらって、それはさすがに失礼でしょう私に……それに、その「どーたらこーたら」の中に「シド・ヴィシャスベートーヴェンチャーチルを見事に演じきったカメレオン俳優である」とか、「ジョニー・デップホアキン・フェニックスと共に”映画界のエキセントリック三大名優”に君臨している(と私が勝手に考えている)」とか、「サイコパスから誕生した最強サイコパス、という設定でジェームズ・マカヴォイと親子役を演じてほしい気持ち」が含まれていること、知らないよね?

 

このように日常に転がる連想ゲームを解いているだけで脳トレになるが、いつか親の元にやって来るかもしれない変な水の勧誘とオレオレ詐欺、覚えにくい固有名詞には一緒に注意を払わなければと感じている今日この頃。

楽しんでね。

「一周まわって」という表現があるけど、最近の自分がまさにそういう状況な気がする。色んなことを考え詰めた時期を経て、頭が「もう限界なんですけど…」と言い始め、稼働率を下げ始めたような感覚。

 

何でも見通したくて、損したくなくて、失敗したくなくて、先のこと全部一旦計算させてくださいっていうのを今までずっとやってきたけど、それって疲れるし、外れることもあるし、変わることもあるし、何より楽しめない。

 

全部、自分の見える範囲でコントロールしようとすると、一時は安心できても、違う結果になった時に苦しい。

 

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分からないことを、楽しんで生きたいと思う。未来のことは分からない。だから不安だけど、だから楽しいってこともある。答えが一つではないことも、人との出会いの中でどう転んでいくか分からないことも。

 

ある人がいつも、「楽しんでるか?」「楽しんでね」と私に言葉を掛けてくれていた。不思議と今になって、そのことがよく思い出される。昔の自分には咀嚼できなかったけど、本当は今の自分のために、先取して貰った言葉だったのかもしれない。心の中にいつも持っておきたいと思う。

休んだ時間が私に教えてくれたこと。

何もしない時間は私に色んなことを教えてくれた、と思う。半年前はひたすら「何もしたくない」時間があり、その後「何もできない」時間が訪れ、それが終わってようやく、自分の意志で「何もしない」時間がやってきた。

 

中でも、休んだことで仕事との間に距離ができ、「働くことを人生の最優先事項にしなくてもいい」と気付けたことは大きい。ずっと仕事と繋がっていないと得られないものも確かにあるが、繋がっているから気付けないこともあると知った。(私の場合は、繋がるというより「しがみついていた」と言った方がいいかもしれないけど。)

 

何もしない時間は、「何もできなくなっても実はさほど問題がないし、何より自分も結構頑張ってたんじゃないか」とも気付かせてくれた。それまで「あれもこれも出来ない自分だから、もっともっと頑張らないと」とマイナスの目盛りをゼロに持っていくような感覚でいたが、本当はすべてがプラスでしかなかった。

 

完璧ではなくても、何かを良くしたいと願い、目の前のことに真摯に向き合うのは良いことのはずなのに、それを「自分だから」という理由だけで何も無かったことにしていた自分の冷酷さが怖くなった。形だけ優しい言葉を自分にかけたとしても、やってきたことを箒で掃き続けていたら何の意味もない。自分の本質をちゃんと理解し、他の人にはできても自分には難しいことがあるということを知り、そんな中でも頑張ったじゃないかと、納得すること。当たり前のことなんて一つもないと思うこと。

 

何もしない時間は、いつか訪れる「死」というものについても考えさせた。尊敬する人が言っていた。「死ぬまでに、あと何度食事ができるだろうかと想像する。目安で数えてみるとそれが意外に少ないことに気付く。だから本当に食べたいものを食べる。」と。やりたくないことも、嫌なことも、ゼロにできる人生などどこにも存在しないし、いつか命が終わることを何かの言い訳にするのもいけない。でも死を想うと、好きな国を自分の足で巡れるのは何歳ぐらいまでだろう、とか、親の顔が見られるのはあと何年ぐらいだろう、とか、これから出会える人の数とか、自然に問いかけが生まれる。

 

そういうのを全部含めて、休むって、ずっと脇道に置いてきた幸せを取り戻しにいくような時間なのかもしれないと思う。「自分はこんなに何も出来ない人だったんだ」と知り、「でも何もできなくても、変わらず傍にいてくれる人がいる」と気付き、次第に「何もできなくても、別に良かったんだ」と思うようになる。何者でもなくなる感覚。そこから、「そうだ、これが好きだったんだ」「これが嫌だったんだ」と思い出したりする。

 

休むことは怖い。置いていかれるような気がするし、元に戻れなくなる気がする。でも、自分の気持ちを確かめるいい機会でもある。「本当に、前の自分に戻りたいのか」と。正社員でそれなりに給料を手にしていても、私は前の自分には戻りたくない。目の前に何があっても、素通りできてしまうような無感動な自分だったからだと思う。

 

いくつになっても器用には生きられない自分だけど、何かができなくてもいいから、今何を感じているのかぐらいは分かる大人でいたいと思う。

音楽は山登りに似ている。

今日は書くことが思い浮かばない。絞り出して書けることといったら、配信で観ていた『SUITS』で「いい加減、感情ではなく事実と論理性に目を向けろ。それが真の弁護士というものだ」とマイクを突き放すハーヴィーがなんて素敵なの、と思ったこととか、ベッドカバーをブルーからパープルに変えて部屋が明るくなったこととか、自分にやる気を出させるにはどうしたらいいんだろうと悩んだこととか、それぐらい。

 

あとはショパンベートーヴェン中心のピアノ生活を過ごしてきたと思っていたけど意外とブラームスの割合も多いことに気付いたとか、ドビュッシーの『雨の庭』なんて一生かかっても弾ける気がしない、と思ったこととか。

 


ドビュッシー:「版画」より 第3曲「雨の庭」

 

ごてごての和音ミックスとか、楽譜が見た感じ「黒い」方が意外と音を出しやすかったりする。シンプルな楽譜こそ難しい。これやりながら跳ねるんかい、という所にスタッカートがさりげなく印字されていたり、ここをずっと押さえながらこの指の移動は無理ゲー。と絶望した所で、更にここを滑らかに弾けと?と、虹のように弧を描いたスラーがいくつかの音符を繋いでいる。

 

ベートーヴェンの『テンペスト』第3楽章も、楽譜は割と白い。ペダルを踏んでしまえば「それっぽく」響かせることができるし、音を拾うだけなら弾きやすい。でも、ベートーヴェンは「ペダル踏んでいいよ」と言っていない。更に、細かく音符を見ていくとまさに上のような突っ込みが多数出て発狂したくなる。シンプルだからすぐ弾けると思っていると、足元をすくわれる。(と私は思う)

 


『ベートーベン:テンペスト』(Beethoven, Tempest Sonata No.17, Op.31-2.3)(ピアノ楽譜)

 

作曲家の世界を覗くのは難しい。その響きに何を込めたのか、どんな景色を見ていたのかが知りたいと思う。楽器を弾くことは、山登りに似ている。音楽は感情も大切だが、まず楽譜という真実があり、それを一歩一歩忠実に辿ることで初めて作曲家の心に近づける。弁護士にとっての法律が、音楽をやる人にとっての楽譜。使いこなせて初めて、自分なりのアレンジや表現ができる。

 

…と、書いていたら色々と思い出した。つまりどんなことも、基本は大事だな、と思う。