時間の流れと静けさを感じる、とても好きな絵画がある。ギュスターヴ・ギヨーム(Gustave Guillaumet)という画家の『Le Sahara』という作品だ。昔、オルセー美術館でこの絵を見つけた。他にも有名な絵画はたくさんあるはずなのに、なぜかこの絵にとても惹きつけられた。
ギュスターヴ・ギヨームはフランス人で、オリエンタリズムの画家の一人だ。アルジェリアに渡ってその生活に興味を持ち、砂漠や、そこで暮らす人々の姿を描き続けた。このサハラの作品は特に当時のサロンでも認められ、彼の代表作になっている。
一体のラクダの骨は、その遥か向こうに見えるほのかな光に召されているようでもあり、死とは切り離された場所で新しい時代が幕を開けたような、どこか分断された印象もある。空の色の「何色」と言い表せない曖昧さが美しく、退廃的でありながら、不思議と希望も感じる。
乾いた砂の上でたった一頭、命を終えたラクダの亡骸は虚しく、伝わってくるのはこの世を生きる存在の無力さと、膨大な時間の流れだ。オリエンタリズムは「西洋から見た東洋の姿」であって西洋中心主義でしかない、という批判的な見方もある中、この絵には生と死という普遍だけが、サハラの上に静かに浮かび上がっている。まるで自分もこの亡骸の前に立ち、何百年、何千年と日が昇り沈んでいくのを眺めているような気持ちになる。一つの命は終わりを迎えたが、途方もなく広い砂漠と歴史の中では、それも大河の一滴に過ぎない。
生まれること、死ぬことは、一体なんだというのか。ただ命は始まり、終わり、時は流れ続ける。砂は死骸を抱き、太陽は死骸を照らしながら、次には新しい命を迎えていく。その、本来は「意味」など入る余地もない摂理の中で、感情というものを授かって生まれた人間が、たとえ自らの無力さや孤独を感じることがあっても、それは当たり前のことのような気もする。
「これが、すべての本来の姿だ」と、この絵が思い出させてくれているような気がするのだ。