仕事と心のDiary

デトックスのための文章

記憶の断片を綴る

ブログって書き出しが難しいなといつも思います。久しぶりに書くとなると特に。どうやって始めようかな? と考えているといつの間にか15分は経っていて、その間にすごく書きたかったことが頭から次第に薄れていって「あ、今日はもう寝なきゃ」となる。

 

その積み重ねのせいで今まで書き溜めた断片しかないけど、それを残しておくことにした。

 

2024年2月15日

駅でかかっているJRのCMを観ていたら、京都でも沖縄でもなく、ただどこか自由な場所へ無性に行きたくなった。「それは心の中に作り出せばいいだけですよ」と自分を監視している理性みたいなものが身も蓋もない言葉を投げかけてきて、ふと我に返った。

 

4月24日

友人「私はさ、”あぁ、いつか自分の人生も終わる時が来るんだな”って、子供におっぱいあげながら毎日考える。その度に焦って夜中発狂したくなるんだよ。何でそんなこと考えるのか、自分でもよく分からないんだけど。」

 

私「それ結構シュールな光景だけど、その夜中の不安というか、絶望みたいなものは分かる気がする。」

 

4月30日

週末の予定を入れる時は、本当に出かけたいか、出かけられそうかを自分と相談する。

最近『夜明けのすべて』という映画を観たのですが、心が弱っている時、どこか不調に感じる時、夜明け前の時間を過ごしているような感覚がある時には特におすすめの作品です。

 

5月11日

最近、夜中に目が醒めてから眠れないことが増えた。あとは食事。結局いつも大半を残すことになってしまう。

 

私は自分を忘れないため、遠くへ置き去りしないためにブログを書いているような所がある。

 

この前なんて、仕事で一件簡単な内容の返信を打つだけなのに頭が回らず、書いては消し、書いては消しを繰り返し、一時間近くかかってしまった。

 

立ち行かなくなっていく自分が恥ずかしい。また出来ないのか、これでこの先どうするのか。気づくとそこに戻っている。

 

日本のブラック企業の残業時間の水準が月45時間、過労死ラインが80時間以上という記事を見つけ、調子の悪い時にそれを読んで絶望してしまった。私、残業がきついと思っていたけどそこまでは働いていないじゃん。なのになぜ、こんなに疲れてるんだろう、と。

 

5月15日

「もう一年の半分が終わりに近づいているなんて、信じられますか」と驚いた感じで人に尋ねながら、でもいつも同じようなこと言ってるよな…とうっすら思った。仕事の帰りに遅い夕飯を食べたあと、本屋へ寄って辻仁成の『自分流』を斜め読みした。

 

自分が今そういう風に生きていないからかもしれないけど、時々こうした本にとても惹かれる。「周りがそうしていたから、僕は一番にそれを捨てた」みたいな本。岡本太郎の『自分の中に毒を持て』も、たまに読みたくなる本のひとつ。

 

5月22日

23:38。職場の飲み会のあと心が極限まで低空飛行になる件について、本一冊書けそうなぐらいタクシーが来ないド田舎の地元の駅。

 

私の前にはこんな遅くにどうしたのかおばあちゃんが一人待っていて、しんと静まり返った道路の上を信号だけが慌ただしく、青になっては赤になりを繰り返している。街灯に照らされてオレンジ色になった地面には「タクシー」という文字がでかでかと印字されていて、あとはそこに車が滑り込んでくるだけなのに、肝心なタクシーだけが不在だ。

 

5月31日

今日良かったことはなにかと聞かれたら、今日が金曜であることと、閉店間際にお店に入れて夕飯難民を逃れたことぐらいだ。

それ以外は頭はフル回転で余裕もなかったし、人と話すことも、ただひたすらしんどい一日だった。でも、会社で飲むラテは変わらず美味しかったから、それも良かったことに入れておこうと思う。