仕事と心のDiary

デトックスのための文章

東京オリンピックで感じたこと。

オリンピックがひと段落してしまった。色んな人があちこちに散らばって踊っている開会式・閉会式が何を表現したいのかは正直よく分からなかったけど、選手たちがメダルを獲る瞬間がリアルタイムで見られることにやっぱりとても感動してしまった。そして男子マラソンなんて、服部選手が重度の熱中症の中で完走した。コロナはもちろんのこと、もう夏のオリンピックは命の危険と隣り合わせなのだと感じさせられる。

 

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今朝ニュースを観ていたら、コロナのワクチンは二回目接種して以降、半年から一年後に三回目(二回目までの半量程度)を接種するといい、ということがやっていた。自分もコロナの予防接種を受けた時は二回目の副作用がとても重かったので、三回目が半量なら多少は軽いのかなと考えていたら、そこであるコメンテーターから「先進国が三回目を接種するより、まだワクチン接種できていない国に行き渡らせる方が先なのではないか」という意見が出ていた。

 

オリンピックでは、こんな時期ではありながらも世界から選手がやってきて、素晴らしい技を見せてくれた。ほとんどの選手が、今までやってきた成果を発揮するために、コンディションを整えることに没頭していたのだろうと思う。けれどそんな中、ベラルーシの陸上女子、クリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手の帰国拒否問題があったのは印象的だった。

彼女はドーピング問題があった選手の穴埋めで、出場予定の無かった競技に急遽出なければいけない流れになり、もめた末にベラルーシより帰還命令を受け、帰りの空港で搭乗拒否と保護を求めたのだという。ベラルーシにいる祖母から、「帰国は安全ではない。帰れば投獄か精神病院に入れさせられる」と警告を受けたためだった。

ベラルーシでは、過去にも亡命した活動家の男性が、亡命先のウクライナで殺害されている。クリスツィナ選手も今回ポーランドへ行けたそうだが、そこで安全な競技人生が送れることを願ってしまう。オリンピック選手に選ばれるということが、ある人にとっては国を出るための手段、あるいは違う国で人生を始めるきっかけにもなりうる。生まれる国は選べないということを、如実に感じてしまった。

 

厄介なウイルスが流行り、危険と隣り合わせの中、それでもこうして競技に真正面から挑戦し、時にスポーツ以外の問題にも向かっていく選手たちの姿には色んなことを教わった。失敗した選手を対戦国の選手が励ましている光景や、勝敗よりお互いの努力を認め合うように、二人で金メダルを獲ったカタールとイタリアの選手。いくらウイルスが変異しても、人間のあいだにはそういう変わらないものがあるのだなと思う。国同士の助け合いも、普段からワクチンに限らず自分でできる予防をしていく重要性も、オリンピックが教えてくれた気がするのだった。

 

卓球や陸上などメジャーなものはほぼほぼ観ていた中で、個人的にはスケートボードの瀬尻さんの「そースねー」「スゲーー」「ゴン攻め」実況がゆるくて好きだったのと、スポーツクライミング、水泳の高飛び込み、新体操やアーティスティック・スイミングがやっぱり楽しかった。サッカーはワールドカップが楽しみだ。