仕事と心のDiary

デトックスのための文章

『愛がなんだ』―男を越えていく女達

邦画の『愛がなんだ』を観ました。

(あらすじ)28歳のOL・山田テルコは、マモちゃんのことが大好き。寝ても覚めてもというより、寝るのも仕事も食事も削ってマモちゃん。入浴中も面接中も、呼ばれたらすぐ飛んでいく。しかしマモちゃんとは、付き合えていない。マモちゃんに「テルちゃん」と呼ばれるのが好きだったのに、ある時から「山田さん」と呼ばれるようになった。壁は出来ていくのに、テルコはマモちゃんを待ち続ける。そんな中、自由奔放なすみれという女性が現れて……。

 

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『愛がなんだ』は2021年9月6日現在、NetflixAmazonPrime、他U-NEXTやdtvでも視聴可能なようです。(参考:Filmarksサイト)

 

(以下、ネタバレになります)

 

 

夜中にビール買いにいくの、やめなよ。引き出し、整理するのやめなよ。お掃除なんてもうしなくていいよ……と思いながら。マモちゃんが好きな人と会うのについていったり、極めつけにマモちゃんをもう好きではないふり辛いし痛いし、痛いしで辛……と思いながら。でも、その一つひとつに全力で幸せそうなテルコを見ると、それもありなのかと思い始めてしまう。

テルコみたいな女の子のことを、ある人は「自分を大事にしていない」というだろうし、ある人は「自分の望みを大事にしているだけだ」というのかもしれないけど、どことなく感じたのは、もう『マモちゃん』なんて存在は実はどうでもよくてこれはきっと、テルコのテルコによる、テルコのための闘いの映画なんですね。マモちゃんを見つめているようで、マモちゃんを遥かに越えて行ってる。

 

テルコには葉子という友人がいて、葉子はナカハラという人に想われている。ナカハラは男性版・テルコのような感じで、葉子はいつも傍にいるナカハラを無下に扱っていた。ある日ナカハラは、「葉子を想うのはやめる」と、葉子のいない所でテルコに宣言する。それも、「葉子を駄目な女、酷い女にしているのは自分だ」と言うのだった。でも、それってそうなのかな、と一瞬立ち止まってしまう。

テルコとナカハラは自分達の世界の中心で色々叫んでいて、そして誰だって、好きな人には影響力を持っていると思いたい。でも、葉子はナカハラのこと、そこまで気に留めていたんだろうか。

 

葉子は、「ナカハラは葉子に尽くしてきたのに、可哀想だよ」と責めてくるテルコに、「でも、そうするのは彼が決めたことだよ」と言うんだけど、葉子からしたらそうだよね、と思ってしまったのだった。好きにはなれない相手から「こんなにあなたのことが好きで辛くて、分かって」と言われたとしても、心にあまり影響がないとか、忘れちゃうのが多くの人の現実なんじゃないか、って。

 

テルコの、「マモちゃんが好き、というよりマモちゃんになりたい」という感覚はよく分からないようでどこか既視感もあり、でもまさかそこでテルコがマモちゃんのなりたかった象の飼育員になっているって、と笑ってしまう。人生賭けてる。

 

このお話の原作は角田光代さんで、角田さんの作品はたくさん読んだわけじゃないけど『紙の月』や『八日目の蝉』などを読んだことがあって。その時に感じていたのは、主人公たちが表面上穏やかでありながら実はネジがぶっとんでいる、ってことだった。自分の中の際限ない母性が、狂気になってしまったとでもいうのでしょうか。どことなく、サーカスやピエロのような哀しさを主人公の内に感じるのです。

 

でも、主人公たちは皆、ある一定のラインを越えることで自分なりの自由を得ていく。そのトンネルを抜けた後が見たくて、読み進めてしまいます。「これ以上やったら痛い女だな」「これ以上やったら犯罪だな」という境界線を、軽やかに越えていく。だから傍目から見ると主人公はやっぱり不幸になっていくのに、本人達はこの上ない幸福を感じている。そういうアンバランスさや解放感が、ドロドロしたストーリーの中に一掴みの清々しさを残してくれるような気がします。

 

それにしても、角田さんが『彩河 杏(さいかわ あんず)』さんってペンネームで小説を書いていた時代があったなんて、知らなかった。Wikipediaで初めて知りました。角田光代さんの方がいいなぁ。角田さんのゆる~い旅行記『いつも旅の中』も、とても好きな本です。特に、角田さんが一番お好きというタイの街中を書いた文章、臨場感があって素敵なのです。ロシアの国境越えの話もかなり笑えます。

 

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