仕事と心のDiary

デトックスのための文章

「やりますね」をやめたら楽になった。

毎年書いている気がするけど、秋が季節の中で一番良いと思う。夏から秋の間に一度でも涼しい期間(雨や台風などで)があると、その後暑い日がまた来たとしてもあの8月のような日照りの猛暑ほどではない気がして、そうやってだんだん、肌寒さを感じる夜がやってくる。

 

書くことは記憶を濃くするから、本当につらいことはあまり書けないものだということに気づく。私にとってはそれが、去年の秋から始まった母の病のことなのかもしれない。全然働く気になれないとか、本当こんなんでどうしようなどの、自分のことはいくらでも書けるのに、なぜかそのことを書こうとすると指が止まってしまう。夜中の救急車も、人工呼吸器も、痩せた体も詳細に書いてしまえば今にも自分がそこに飛んでしまうのだった。

 

笑っていることって大事だ。この一年で感じたのは、結局何をやっていても時間は同じように過ぎていくとか、そんなにたくさんのものがあっても扱いきれないから少しでいいやとか、働くってやっぱり大変とか色々あるけど、その中に「頑張らない、自分からやらないでおいてみる、笑えることに触れる」っていうのがあって、そういうのが結構大きかった、自分の中で。

 

何かを自分から「やりますね」と言う機会を減らすと、周りのできる人たちが、それをやってくれた。煩雑なことを無理にやろうとしないで、関係する人に「お願いできませんか」と言ってみたら、「了解です~」と言ってくれた。無理だろうと思っていたことを、「こうしてもらうことってできます?」と伝えてみたら、「対応しますね」と言ってくれた。そういうことを続けていると、何かができない自分でもいっかと思えるようになり、出来ないのも当たり前だと思うようになっていき、そしてそこでいつも、素の自分に出会うような気がするのだった。

 

笑えるテレビとか、笑えるブログ、そういうのに触れる時間もすごく大事だ。前みたいに、何となく時間が過ぎていくことに焦ってやる資格の勉強とか、そんな「意味のありそうな」ものに使う時間ではないけど、ぼーっとする時間があるから、ただ笑う時間があるから違う何かを頑張ろうと思える気もする。去年の秋、は全然働いてなかったから例えば一昨年の秋、その頃に比べて今の私はすごく、ただの逃避のためのような時間を日常に持つようになった。

 

今まで床が抜けるぐらい買っていた自己啓発系の本(といっても難しいビジネス書とかでは全然なく、生き方などの本)を開く気持ちも、あまりなくなってしまった。あの頃、仕事帰り毎晩のように本屋に通い詰めて、同じような本を買い集めて、私はどうしたかったんだろう。逃避、にしてはキツい。人にも「えぇー」と言われた。本当はただ笑いたかっただけ、背中を押してほしかっただけのような気もする。

 

「やります」を言わないこと、できる人や頑張りたい人の背中に乗っかってしまうことは、大人としてはどうなの?って言われるかもしれないけど、出来ないのに無理に頑張ることで得られるのは人からの「凄いね」って言葉と、それで一時的に満たされて、自分をいつの間にか塔みたいな場所に押し上げる自尊心だ。

 

できない時、頑張る以外にも道は色々ある。人にお願いする、「出来ないです」と言う、逃げる。自分がやらなくてもいいや、ってことにする。やめる。笑う。それでもどうにかなるし、やっていける。一昨年の秋になかったものが、今年の秋、色づき始めたような感じだ。