仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

休んだ時間が私に教えてくれたこと。

何もしない時間は私に色んなことを教えてくれた、と思う。半年前はひたすら「何もしたくない」時間があり、その後「何もできない」時間が訪れ、それが終わってようやく、自分の意志で「何もしない」時間がやってきた。

 

中でも、休んだことで仕事との間に距離ができ、「働くことを人生の最優先事項にしなくてもいい」と気付けたことは大きい。ずっと仕事と繋がっていないと得られないものも確かにあるが、繋がっているから気付けないこともあると知った。(私の場合は、繋がるというより「しがみついていた」と言った方がいいかもしれないけど。)

 

何もしない時間は、「何もできなくなっても実はさほど問題がないし、何より自分も結構頑張ってたんじゃないか」とも気付かせてくれた。それまで「あれもこれも出来ない自分だから、もっともっと頑張らないと」とマイナスの目盛りをゼロに持っていくような感覚でいたが、本当はすべてがプラスでしかなかった。

 

完璧ではなくても、何かを良くしたいと願い、目の前のことに真摯に向き合うのは良いことのはずなのに、それを「自分だから」という理由だけで何も無かったことにしていた自分の冷酷さが怖くなった。形だけ優しい言葉を自分にかけたとしても、やってきたことを箒で掃き続けていたら何の意味もない。自分の本質をちゃんと理解し、他の人にはできても自分には難しいことがあるということを知り、そんな中でも頑張ったじゃないかと、納得すること。当たり前のことなんて一つもないと思うこと。

 

何もしない時間は、いつか訪れる「死」というものについても考えさせた。尊敬する人が言っていた。「死ぬまでに、あと何度食事ができるだろうかと想像する。目安で数えてみるとそれが意外に少ないことに気付く。だから本当に食べたいものを食べる。」と。やりたくないことも、嫌なことも、ゼロにできる人生などどこにも存在しないし、いつか命が終わることを何かの言い訳にするのもいけない。でも死を想うと、好きな国を自分の足で巡れるのは何歳ぐらいまでだろう、とか、親の顔が見られるのはあと何年ぐらいだろう、とか、これから出会える人の数とか、自然に問いかけが生まれる。

 

そういうのを全部含めて、休むって、ずっと脇道に置いてきた幸せを取り戻しにいくような時間なのかもしれないと思う。「自分はこんなに何も出来ない人だったんだ」と知り、「でも何もできなくても、変わらず傍にいてくれる人がいる」と気付き、次第に「何もできなくても、別に良かったんだ」と思うようになる。何者でもなくなる感覚。そこから、「そうだ、これが好きだったんだ」「これが嫌だったんだ」と思い出したりする。

 

休むことは怖い。置いていかれるような気がするし、元に戻れなくなる気がする。でも、自分の気持ちを確かめるいい機会でもある。「本当に、前の自分に戻りたいのか」と。正社員でそれなりに給料を手にしていても、私は前の自分には戻りたくない。目の前に何があっても、素通りできてしまうような無感動な自分だったからだと思う。

 

いくつになっても器用には生きられない自分だけど、何かができなくてもいいから、今何を感じているのかぐらいは分かる大人でいたいと思う。