仕事と心のDiary

デトックスのための文章

在宅勤務する中で感じた、自分で一日を管理することの大切さ。

今日は朝ウォーキングをして、風が涼しくてとても気持ちよかった。その後仕事に入ったら、少し疲れているはずなのに不思議と頭が冴えて、コーヒーもいつもより美味しく感じました。普段はつい夜更かししてしまいがちだけど、朝型の方が気持ちが前向きになります。

 

f:id:sans---souci:20211006222246j:plain

 

母の糖尿や高血圧がピークだった頃、朝のウォーキングはいつのタイミングが健康やダイエットに一番効果的なのか調べたことがあります。その時は、朝食を食べてから1~2時間後が消化が落ち着くので好ましい、と何かで読みました。朝早くに歩きたい時は朝食を食べる前に出掛けてしまいたくなりますが、起きてすぐ、何も口に入れない状態で歩きはじめるのは低血糖状態になるので絶対にNGだそう。

 

そして、「これが続くとなんだか調子が悪くなる」という行動パターンがやっぱり人それぞれあるもので、それを意識していくことも健康的な生活の中ではとても大事なようです。私の場合は、一時過ぎに眠る日が三日続くと、思考がとてもマイナスになることに気づきました。元から映画鑑賞や読書を眠る前にするのが日課になっているのと、在宅での仕事は「出掛ける支度のために起きる」という一作業がないので、自分で管理をしないとどんどん生活が乱れていってしまう。

 

在宅の仕事を今年一年やって感じたのは、自己管理がとても大事だということです。起きる時間から、姿勢、服装、食事の時間に至るまで。私の周りは「始業ぎりぎりまで寝て、パジャマで仕事しちゃってます」という人もいるし、いつでも会議で顔出しできるように朝化粧するという人もいて、本当に人それぞれです。一つの場所に集わなくても働けるようになったというのは、一人ひとりの意識に委ねられる部分が広がったということで、どんな毎日にしていくかを、自分がよりデザインできる未来に一歩近づいたということなのだと思います。私は仕事とプライベートをちゃんと分けたい方ですが、オンライン会議で誰かの家族の姿が自然と映ったり、私用のためにフレックスで仕事はきちんと終わらせるという働き方の人に触れる中で、その垣根も今後はどんどんなくなっていくんだろうと想像しています。

 

過渡期には、古い思考から抜けられないことは仕方のないことなのかもしれないけど、自分の苦しみもほとんどがその産物のような気がして、「人は人でいていいし、自分は自分でいていい」という本物の個人主義のような所に辿り着くのもとても難しいです。でも、それでもその度に一度立ち戻り、自分が自分に課している制限のようなものはないか? 本当はもっと、自由に考えてもいいんじゃないのか? と、振り返る時間を持ちたいと感じます。

 

私は元々、会社の飲み会を面倒だなと感じてしまう方でした。20代の頃はその気持ちを押して参加し、意外と楽しくなったりしながら人付き合いもしていましたが、30代になると飲み会の前に悩むことが増えました。確かに、一人でいることは好きでも、人との関わりは自分にとってなくてはならないものです。でも、仕事でそれを満たそうとすると、なぜか苦しくなってしまう。だから一度、「私にとって今の仕事は、お金の分責任を果たせばいい場所だ」と決めてしまったら、最近はあまり迷わずに欠席の連絡ができるようになってきました。その時間を好きなように過ごすことで、やっぱりホッとする自分がいます。「集まりの機会があり、誘いをもらえるのはありがたいことだ」と頭だけで理解しても、それは自分にとって、実際にはあまり意味のないことなのだと思います。

 

そういう、自分が大切なものを自分も周りも同じように優先していいという土壌が育つのは、とてもいいことだと思う。逆にこれからは、そうした見方ができないことによって、自分自身が苦しむ機会も増えてしまうのかもしれません。自分はこの場所で、自分が決めたこういうメリットを取りにいくんだ!と管理すること。今日はパジャマで仕事することで、自分のテンションにピントを合わせようと決めることも管理だし、こんな時間まで起きていたら気持ちが落ち込むから、早く電気を消そうというのも管理だと思う(これが、一番できないけど……)。

 

そんな風に自分を管理していくことを、これからは少し意識してみたいと感じます。