仕事と心のDiary

デトックスのための文章

自愛について

今日は何となく気持ちが沈んだ日でした。自分の今の生活のことや、「自分を愛する」っていうのはどういうことなのか、そんなことを一日中考えていた休日でした。

 

海外では頻繁に使われているこの「愛する」という言葉は、英語を使う環境ならもっと身近にあると思いますが、日本語となると使う機会は滅多になく、それでいてとても重要な言葉だと思います。

 

最近は心理学や専門家の方の話よりも、自分の気になる人達が過去の経験からどのように自分を愛することを実践しているのか? という身近な話の方が何となく気になっていて、「自分を愛するっていうのは、自分の失敗もコンプレックスもすべて受け入れることだよ」という人もいれば、「自分の考え方ひとつで目の前の世界が180度変わる、自分自身がその力を持っていることを知って、見たい世界を自分に見せていくことだよ」という人もいて、人はみんな自己体験の中から、その答えを見つけていっているものなのだなと思います。

 

また私の友人には、いつ話を聞いても自己愛の人だなと思う人がいて、メンタルの不調がまず身体の不調から来るものだということで鍼やハーブティ、ヨガに体質改善と、生活に取り入れるというよりもライザップ的にコミットしています。

 

私自身は身体よりも精神的な所から入ることが多く、「自分を愛する」というのは(上の「受け入れる」に近いのですが)「どんな時も自分に寄り添うこと」というのが一つあると思うのですが、それだけだと物足りないと感じる自分も出てきていて、もっと能動的な何か(例えば、何かを積極的に取り入れる、あるいは何かを今以上に積極的に止めること)が欲しいと感じることも増えてきています。

 

人と過ごすことでその時間は確かにパワーを貰えることもありますが、その感覚はずっと続くものではないし、誰かといても、いつも理解しあえるわけではないので孤独を感じることもあります。やっぱり自分なくして良い関係を築いたり、相手を理解することは難しい。その意味で、自愛について哲学的なものを持って生きていくことにはとても興味があるし、今の時代を生きていく中では大切なように思います。

 

自分自身を別の人間のように客観的に眺めて付き合っていく、”もう一人の自分”感というのを今後もっと意識していけたらいいというのも、一つ感じていることです。どこかへ行く時に「自分と一緒に」出掛ける、「自分に」ご馳走するなどの感覚です。ふと気づくと、思いやることとは別の次元で他人のことばかりが頭の中を支配していて、それが続くと明日が来ることが嫌になったり、迷いが生まれたりする実感があります。でも元々、自分を差し置いては何も無いのだから、自分を別の人として一度眺めてみて、必要なケアすることで変わるのではないか。「自分が自分と一緒にいることが一番の安心」という感覚を持ちたいと感じます。

 

他の人のことで頭が支配されていたら、また他人目線で生きたとしたら、孤独は淋しくて、つらくて、恥ずかしいものになってしまうかもしれない。でも、自分自身と付き合っていく人生だと考えたら。そして自分にしてあげられることを本気で考えていけるようになったら、どう変わっていくだろうかと思います。