仕事と心のDiary

デトックスのための文章

北川悦吏子さんのドラマを振り返ってみる。

北川悦吏子さんのドラマが好きで、学生時代はいつも北川さんのドラマと共にありました。『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『オレンジデイズ』『Love Story』などなど。

 

ロンバケなんてサントラを毎日聴いていたし、セナのテーマの楽譜を買って弾いたり、山口智子が着ていた丈の短いTシャツやルームシェアに憧れたりしました。

 

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北川さんと言えば、フランコ・ゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』から着想を得たドラマが多いことで有名です。ロミオとジュリエットは、バルコニーにジュリエット、地上(というか木)にロミオの構図だけど、北川さんのドラマでは女性と男性が反対の位置になるシーンが多い。それは女性が好きな男性を見上げている構図が可愛くて好きだからだと、何かで読んだことがあります。

 

ストーリーは、別に現実的ではないと思うんです。「こんなに偶然会えないよね」とか。でもそういう、徹底して人に夢を見させるために創り出された何かがあっていいし、創作だからこその夢を満喫しているように感じる。フワフワした女の人が出てきていいし、駅のホームでうまく会えちゃっていいし、知らない男と同棲することになっちゃっていい。ディズニーランドみたいに、どんどんやってください。

 

もちろん主人公同士の恋愛は良いんだけど、脇役達の恋愛も好きでした。ロンバケでもオレンジデイズでも、『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』でもそうだけど、「真面目で奥手な女の子にちょっかいを出しはじめる不良青年」という設定がツボ。竹野内豊松たか子成宮寛貴白石美帆、岡田健史と浜辺美波(は主役だけど…)。途中から、主人公達よりもそっちの方が気になってしまったり。

 

あとは、白無垢で結婚式を抜け出すとか、木からリンゴを取る、手話の恋、窓からスーパーボールを弾ませるなど、語り継がれていくようなシーンを生み出されているところが凄かった。

 

こうした名シーンのアイディアの元が、『冷たい雨』という短編集に集約されています。北川さん初の恋愛小説。かなり昔に買った本ですが、いつ断捨離をしても、これとよしもとばななさんの『うたかた/サンクチュアリ』だけは残ります。ヒロインの子供のような無邪気さと、徹底して濁りのない世界観が好きです。

 

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頑張りすぎた時に思い出したいこと

最近、調子がいい時に何かを詰め込み過ぎたり、気づかないうちに頑張り過ぎたりして、ある日電池が切れたように何もかも嫌になって動けなくなる、というサイクルになっています。やることが多かったり、心配や考え事で頭の中が忙しいと、「このペースでは長くもたない」ということを忘れてしまったりします。

 

先日久しぶりに、友人と遅くまで電話しました。「最近しんどいんだよね」というのを聞いてくれて、それを出せる場所が今の自分には必要だったんだと気づくきっかけにもなりました。

 

家のことや、他のことも色々。一人の時というのはどうしても内に閉じて自信がなくなるし、考えても仕方のないことまで悪く考えたりする。でも、そんな時こそ「気楽に」がいい。「必ず良くなるタイミングが来るし、縁がないものは経験しなくていいんだから」と、友人は言ってくれた。

 

そもそも「まだできる」と過信してやり過ぎてしまったから、長い間休まなければならなくなってしまった自分です。気落ちする事が重なる時期はあるけど、自分のペースを大事にしたい。

 

時々、(何やら抽象的だけど)「自分は人生のどの位置にいるんだろう」と考えることがあります。ふとした拍子に、なりゆきで、または予期しない形で導かれる素敵なご縁や心から安心できる時間というのものは、この先の自分にも用意されているんだろうか? など、どうしようもないことばかり考えます。分からないことを「楽しい」と思える自分になることは、結構難しいです。

 

日々の中で幸せを見つけるのも、大切な能力の一つだと思います。気がつくと目先の「~しなければならない」に流され、感性をもって一歩立ち止まるというのが出来ない時がある。「なぜこんなに疲れるんだろう」「こんなにエネルギーがすぐなくなってしまうんだろう」と悲しくなることもあるけど、それが自分です。

 

「人から聞くだけだとしっくりこなくて、自分で経験しないと納得できない性質だから、今までの出来事も自分らしいと思っているし、それはそれで悪くないと思うようにしている」と友人は話してくれて、本当にそうだよなと思いました。

 

私が好きな映画に、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA』があります。

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落ち込んでいる誰かの前で普段と変わらない明るさを見せる家族の姿だったり、ついさっき大切な家族を失った人達の横で、新しい家族の始まりとして挙式をしているカップルがいるというように、「悲しみの隣にある希望」のようなものが描かれている映画でした。

 

どんなことの中にも、幸運を感じていたいです。誰かの声が聞けたり、頑張っている姿が想像できたり、自分のことを思い出してくれたこと、何かを捨てた代わりに新しいものが入ってくること。色んな幸せがあって、目を向けるかどうかの問題だけ。

 

頑張りすぎてしまった時には、そんなことを思い出したい。

大人になったなと感じるとき。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

昔、起きることのすべてを自分起点でとらえていた時期があった。親が喧嘩した時、大事な日に天気が悪い時、何かうまくいかない時、そのほとんどを「自分が何か悪いことをしたからこうなったんだ。もっとできたはずなのに」と思っていた。

 

それと同時に、未来に起きることは何でも自分でコントロールできると半ば本気で思っていた。自分で未来を握りしめるというのか、とにかくこれから起きることを細かく想定し、関わる人へも幾度となく確認したりして、たくさん期待もして、「想定したこと以外は起きない未来」を作るのに必死だった。

 

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でも、どんなに計画しても、その5年後に計画通りの未来を生きていたことなんてなかった気がする。5年前の会社は消え、その代わりに予想すらしていなかった商材が誕生していたり。元気だった人が病院に入ったり、会えない距離に行ってしまったりする。夢中だったことがいつの間にか色褪せ、社会はどんどん変わる。

 

自分起点ですべてを捉えていた時は、頭で想像できる範囲だけで生きていたと思う。でも、生きる時間が長くなれば長くなるほど、それって限界だよなと思う割合が増えていく。人や場所とのご縁も、運も、天災も病も、自分では精一杯やってもどうにもコントロールできないことが沢山ある。そちらの方が多いかもしれない。自分一人でできることなんて本当に限られているのだと気づく。

 

でもそれに気づくと、未来が分からないことだらけになって不安なはずなのに、不思議と肩の力は抜ける。みんな、生きていれば同じ。自分だけじゃない。だからだめな時は誰かに頼ったっていいし、未来に任せてもいい。分からないことを焦って分かろうとしなくてもいい。絵の具は白と黒だけと決めていても、それを人に貸してグレーになってしまった時に、許せる日もやって来るんだと思う。

 

「さあ、この日から大人です!」みたいなことって、無い。実際、20歳を迎えた頃の自分なんて赤ん坊みたいなものだったし、自分の力で生きるようになってからすべてが始まった。それを早い段階からやっている人はそれだけ成熟が早いのかもしれないし、ゆったりの人もいる。でも、生きている年数は成熟とは無関係だ。

 

そんな感じで、私にとっての「大人になる」とは「自分の無力さを知る」ことと結構イコールになっている。それがあるからきっと、他人の優しさをありがたく思う。状況をとりあえず受け入れようとか、不確定でもまぁいいか、と許せる。

 

今は、自分が家で過ごす時間についても思うことがある。部屋の中が温かいこと、誰かと携帯で連絡が取れること。毎日食べている物も使っているシャンプーも全部、世の中の誰かの存在があるから自分の手元にある。確かに、自分のための算段や見通しは大事だけど、自分の力の及ばない範囲を眺めてみると、それぞれの人がそれぞれの経験をもって、何かを循環させているということも見えてくる。

 

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鬼滅の刃』が大ブームになっているけど、あれなどはもっと大きな循環、「命を繋ぐ」がテーマになっている。キャラクターの中には眩しいほど真っすぐそのテーマに向かう者もいれば、己の怖れや名誉欲の中で、受け継ぐことの本質を少しずつ学んでいく者もいて、誰に感情移入できるかが人によって違う所も面白い。そして鬼との闘いのシーンでは、「未熟」と「成熟」について考えさせられる。

 

すべてをコントロールし、意に沿わないものを一切排除する鬼。一方、自分一人でできることの限界と、自分の命は誰かが繋いでくれたものだということを胸に、目の前のことに忠実に向かっていく鬼殺隊。自分ですべてをコントロールしたいというのはエゴでしかなく、他人を信じ、自分を信じる方が何倍にもなって還ってくるのだと感じた。

 

社会の流れや誰かの采配に乗ってみたり、やるだけやって天に任せてみたり、他人を信頼してみると、自分の想像を超えた所で発見があったりするものだと思う。「今は分からなくてもいいか」と許して、とにかく日々できることをやろうと結果を手放している自分に気づいた時、少しは大人になったのかもしれないと思う。

AIやロボットが仕事を代わってくれるのなら。

最近ショックだったことは、「あなたのご希望の職種は、コロナというよりもAIに替わっている傾向があり、求人数が少ないです」と言われたことだ。AIって、一般人にとっては味方なのか、ライバルなのか。もし後者だとしたら、鬼舞辻無惨並みの強敵だと思います。

 

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もちろん、医療や教育、介護の現場でAIやロボットが活躍していることは理解している。

 

けれどこうした背景もあり、もともとテクノロジーに疎い自分には💥人間 VS AI💥のような構図になってしまうことがある。AIが私達の仕事をやるのなら、ベーシックインカムを導入してくれないだろうか。賛否両論はあるし、保障も財源も先が見えない今の日本では、実際には厳しいだろうけど。

 

AIやRPA(ロボット)が今後活躍していくのであれば、人間の仕事はおそらくその管理になっていく。人工知能だってずっと現状維持なわけではなく、未来に向けて今以上に進化していくはず。であればその管理自体も、どうやってもだんだんと減っていくのではないか。

 

もし人間がやっている作業的なことをAIが担い、人にはベーシックインカムとして例えば毎月7万円(竹中平蔵さんは、この金額であれば大きな財政負担にはならないと回答していたよう)が支給されたとしたら、今まで人間が機械的な作業に費やしていた時間を新たな体験や学習機会に回すこともでき、人間側の知能・情緒レベルが長い目で見て上がっていくかもしれない。

 

「7万円では生活できない」という風に、7万円で生活のすべてを最初から担おうとするのではなく、足りない資金を少し余裕を持って必要な活動に使い、稼ぐ手段にしていける余地が生まれるということなのではないか(「支給などしたら人がまったく働かなくなる」という議論もあるけど、そもそもこの金額で完全なプータローになるのは実際厳しい気がする)。

 

実際、AIが得意とする作業領域でご飯を食べている人は世の中に多いと思うし、AIが前進した結果、人の働く場所が減少し、貧困を招くのでは本末転倒だと感じることもある。ましてやだんだんと体力が落ちていく高齢化社会で、資本主義が続くのであればなおさら、人間の生活基盤を確保する方法を見つけていく必要があるのだろうと思う。

祈ることしかできなかった11月の話。

書くのが久しぶりになってしまいました。もうすっかり寒いというか、寒すぎるというか。眠る時に鼻がひんやりすると冬を感じます。

 

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今年は仕事とか一人暮らしとかをやめたのですが、そうした変化は序の口だったようで、11月に母親が「S状結腸憩室炎穿孔(Sジョウケッチョウケイシツエンセンコウ)の疑い」という、なんとも難しい名前の病で入院しました。

 

盲腸はお腹の右下ですが、S状結腸はその反対側。母は大腸の下の方(つまり、便とさよならする最終関門付近)に穴が開いている可能性がありました。穴が開くとお腹全体や全身に菌が回り、助からない可能性も高い、結構怖い病気です。

 

なにせ、糖尿病・高血圧・脂質異常・甲状腺(入院時に判明)と取り揃えている母ですが、そもそもの発端は風邪のウイルスでした。糖尿のために少しずつ減量していたのが良くなかったよう。10月から微熱が続いていて町医者にかかった際は「風邪からくる”亜急性甲状腺炎”でしょう」との診断でした。

 

同じ甲状腺でも、急性のものはロキソニンなどの薬から効き具合を見ていくことが多いのですが、薬を増やしても一向に回復せず、かといってPCRは陰性。次第に心臓がバクバクする症状(バセドウと酷似)が増え、ある週末に高熱が出たため救急車で搬送してもらうことに。

 

救急車って、たまに患者を乗せてからしばらく走り出さないことがあって、「急がなくていーの?」と傍目にいつも不思議だったんだけど、あれは救急隊員の方々が搬送先を探してくれているからなのだということが今更ながらに分かりました。

 

腸の炎症による熱があった母の場合、コロナもあり、搬送先がなかなか見つかりませんでした。遠方の病院がなんとか受け入れてくれ、そこであらゆる検査をして判明したのは、細菌感染で肺に水が溜まっている→心臓を圧迫→肝臓や腸にも炎症、という流れ。そこではっきりと「甲状腺は亜急性ではなく本格的なもの」とも診断を受け、炎症の方は薬で治療可能とのことで処方されて、その日はやむなく帰宅。

 

しかし翌朝病院から連絡があり、「腸に穴が開いているかもなので、やはり入院が必要」とのこと。え!?腸に穴だって…お腹はそんなに痛くないのにね。とりあえず準備しよう、ということで荷造りしていたら、病院から「急いでください」と再コール。

 

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その時は、まさか母のお腹が便だらけ(※お食事中の方すみません…)になる危険性があることまでは認識できておらず、とにかく急いで向かうと、「もっと大きな病院で受け入れ先が見つかったので搬送する。そこの判断に従ってください」と。

 

コロナなので立ち合いはできず、1時間ほど別室で待機して先生から告知されたのは、「このままだと全身に菌が回る可能性があり、そうなってしまうと助からない可能性が高い。数日間は抗生剤と絶食で様子を見るが、危ない場合はすぐ人工肛門の手術が必要」と。

 

人工肛門で生活されている方は世の中にたくさんいると思いますが、初めて聞くとやはりショックが隠せず、何よりこのコロナ禍で、母とはこれから絶食する2週間会うことができない。その間に何かあったら?まさか、今会うのが最後…?

 

本人は「そんなぁ、お腹そんな痛くないのに…」と言ったきり、放心状態。晴天の霹靂とはこういうことを言うんだと、身をもって知りました。

 

結果から言うと、母は下記のような出来事を経て、40㎏台の少し小さいサイズになって20日後に家に戻ってきました。

 

・絶食するにあたり、細い管では栄養が間に合わない(母は持病で高カロリーの点滴を受けることができなかった)ため、体内に太めの管を入れて栄養補給 ※ちなみに、母はなぜか高カロリーの点滴を「ごちそう点滴」と呼んでいた

・点滴をしていると頻尿(ほとんど薬液)になるため、ライフリー「長時間あんしんうす型」紙パンツを愛用(一応、4回分も吸収してくれる)

・「重湯には味の濃いおかずが欲しい」とぼやく

抗生物質の点滴を長期間していた影響で、肝臓の数値が超悪化

・逆に、従来あばれていた糖尿の数値はナリを潜め、看護師さんに「飴なめてもいいですよ」と許可をもらう

・退院間近にカツを食べたとのことで、こちらが絶句(病院食で3切れだけ出してくれたとのこと)

 

結果、分かりづらい位置にあった患部は穿孔にはなっていなかったけど、あと数日遅ければどうなっていたか分からないとのご判断でした。救急隊員の方々、看護師さん、そして先生方の親身で細やかな治療によって救われた命です。どなたかでも欠けたら、今の状況はないと思う。本当に感謝しきれません。

 

そして本当に気が動転したり絶望した時って、情けないけど祈ることぐらいしか出来ないのが現実です。

 

今までは、海外などで教会を訪れて祈る人々の姿を、どこか自分とは別世界のものとして傍観していた気がしますが、祈りは、自分が自分の力だけで生きているのではないということを確認するためのものでもあるのかもしれません。健康が一番大切です。

別れは、軽いぐらいがちょうどいい。

なるべく軽やかに描かれる「別れ」が好きだ。綺麗過ぎるわけでもシリアス過ぎるわけでもなく、ただその後もお互い生きていくんだと感じられるような別れ。

 

たとえば『愛の不時着』では、身を引き裂かれるような辛い別れも、命がけで誰かを救うシーンでも、登場人物のセリフや表情にどことなくユーモアがあり、不思議と軽快さが感じられた。

 

ベートーヴェンソナタの中には、『告別』というのがある。これは気難しい彼が唯一親しくしていたというパトロンと、戦争で別れた時の曲。導入部の悲しみ以上に伝わってきたのは、パトロンを称えるような躍動感と優雅さだった。

 

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ショパンの『別れの曲』も、悲しみよりはそれも含めた上での圧倒的な穏やかさに包まれている。彼らの時代は今よりも避けられない別れが遥かに多かったはずで、それをどう昇華していたかが伝わってくる気がする。一緒にいられない事実より、一緒にいた時間が曲を明るくした。

 

誰かとの別れの時、一緒に悲しんで泣くのもまた良いものだけど、「元気でね!」って肩をポンとされたり、色紙に書かれた「良い人生を」という一言が驚くほど気持ちを軽くさせてくれた。

 

在宅の人が増え始めた時期に、CDTVMISIAが『さよならも言わないままで』という曲を歌った時、その歌詞が今の世の中に向けてとても真摯だったために、感動的な曲ながら聴いているのが辛くなってしまった。

 

別れはどうしたって悲しく辛いものだからこそ、その重みを知る人達が描くフランクで温かい「またね」に助けられてきたのかもしれない。あえて軽く交わす別れの挨拶も、いいものだと思う。

大事だと思っていたものを全部捨ててしまった話。

暗すぎる話でもおめでたい話でもなく、ただただ、自分は空っぽになったと思うことがある。

 

今年は全部捨ててしまった。数年続けた仕事も、6年住んだあの大好きなアパートも、気乗りがしない付き合いも、資格のための勉強も。可愛いけれど足に合わないヒールの靴も履かなくなったし、何となくずっと使い続けていたマグカップやコートも捨て、辛い時に笑うことをやめた。

 

無理して維持するのをやめたら、まったく生産性のない自分になった。ゼロに近い状態から、他人の目線やプライドを抜きにしてまた何かを選んでいくことは、結構苦しい。変わるというのは簡単じゃないんだと思った。

 

そして、今まで何の疑いもなく常識だと流していた色んなことが信じられなくなってしまった。企業が「副業禁止」などと人々を普通に縛れていたことも、週5日・1日8時間以上という勤務時間がモデルケースになっていたことも。幸せに違いないと思っていた素敵な俳優達が、この世からいなくなってしまったことも。

 

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大事だと思っていたことが全然大事じゃなかったと、気づくことが増えた。生きることに息切れした時は、何か特別なことができなくても、とりあえず息をする。最低限のことをして、靄の中でただ存在するように時間を繋ぐ。そんな時期があってもいいんじゃないかと思う。人生は長距離走だということが見えてきた。

  

いつも不安や怖れから自分を走らせてきた。この繰り返しをもうやめたかったから、私は大事だと思ってきたものを捨てた。焦りから行動するのではなくて、「したい」と自然に思えるまで、待ちたいと思う。

 

「人がやっているから自分も」という考え方はもう疲れてしまった。極端な話、生きてさえいればいいと思うようにもなった。鎧に潰されそうならそんなもの捨てて、何もない自分に戻ればいい。元々は授かった命だ。やりたいことが見つからなくても、効率が悪くても、誰もが平等に寿命までをまっとうする。本来そういう、シンプルな話なんだと思う。

 

色んな物を手放したから、何も出来なくなった駄目な自分を捨てずに済んだ。自分のサイズと速度で進んでいけば、それでいいのかもしれない。