仕事と心のDiary

デトックスのための文章

「すべては人生の暇つぶし」と考えてみる

「仕事も人生の暇つぶしの一つ」という言葉を見た時、それまでずっと人から聞いたり読んだりして蓄積されてきたことが線になり、腑に落ちた感覚がありました。

 

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同時に、ネットでよく目にする「しばらく休みたいんだけど、ありなの?」「休むのは何か月までなら許される?」というような言葉は、よく理解が出来なくなってしまいました。

 

下手したら人生100年もあって65歳定年すら既に崩壊しており、パンデミックや災害について明日は我が身という揺れの時代に、立ち止まることすら許してもらえない相手ならその程度。付き合わなくてもいいんじゃないかという気がしてしまいます。

 

休むことの大切さを知っている人の言葉は何となく素敵で、優しい。自分のペースを理解しながら、怖いこと(今までの自分ならやらないようなこと)をやっている人を見ると、努力しているんだろうなと感じさせられます。長い目で人生を見ているのだろうと思います。

 

「向き合う必要などない」「自分探しなんてしないで、大人なのだからとにかく行動しろ」というのもよく聞くけれど、迷いながら進むのも人間らしくていいんじゃないかと思います。

 

休まないのは頑張っているからだとずっと思っていたけれど、逆に休まない方が楽なのかもしれません。動き続けている方が楽。変わらないことの方が、遥かに楽。周りからは反発されないし、気が紛れるから本心と向き合うことも避けていられる。

 

だけどそうしていても、肝心な自分自身のことはずっと嫌いなまま。頑張ってもなぜか満たされず、次々と求めてしまう。焦りや怖れがベースの頑張りって、長くは続きません。

 

「すべては人生の暇つぶし」だと捉えると、すべてがゼロから始まる気がします。

 

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頑張り続けている時はマイナスからゼロにするために必死だったのに、「究極は全部暇つぶしだ」と思うとスタートがゼロ地点になり、そこから何をプラスしていきたいのか考えるようになる。

 

必ずしも望んで生まれたわけではないこの世の中だけど、自分に用意された時間が早く過ぎることだけを祈って毎日を送っているとしたら、それはやっぱり辛いことです。

 

休むことで、誰かに理解されなかったり、認めてもらえない場面に遭遇するかもしれないけど、自分が納得できるようになることの方が長い目で見たら大事なんじゃないか。

 

自然の中を歩く機会が増えて感じたことですが、木や鳥や花も、虫も、本当は人間と変わらない存在で自然と共存し、生かされている。望んで誕生したかどうか、どんな意味があって誕生したかなど関係なく、とにかく生きている。

 

生きることに色々意味付けをしたくなってしまうけど、結局のところ、息をしている間は自分に与えられた時を過ごすこと。「早くこの人生終わらないかな」と感じてしまうこともあるけど、実際、いつか必ず終わる。終わってしまうのだ。

 

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どんな状況であっても、人が自分の必要なタイミングで休めるような世の中になったら、それは素敵なことだと感じる。