仕事と心のDiary

デトックスのための文章

周りからどう思われてもそれは仕方のないことだ、と、その人は私に言った。

昔、よく休みを取る先輩がいた。

 

その人はよくオフィスで、家から持ってきたという少し高そうなコーヒーメーカーでコーヒーを丁寧に淹れ、それをミーティングの席に持ち込んでいた。その人とのミーティングがある時は、気分転換にと、よく近くのカフェへ行ったりもした。

 

その人は、仕事が出来ると社内でも評判な人だった。特に、細かい最終チェックなどに関しては他の人が気づかないような抜け漏れに気づいてくれたり、起きうる可能性について細かに教えてくれたりした。ただ、その人が使う言葉はいつも直球で厳しいために、対立してしまう人も多かった。優秀だけど、気難しい人。周りと話していても、その印象を持っている人が多いということが分かった。

 

私は、たまに身振り手振りで話しているその人の手を見て、この人はやっぱりとても繊細なんじゃないか、と感じたことがあった。体格はがっちりしているのに手の平がとても薄く、指が細くて、長かったからだった。

 

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たまに社内で飲む機会があったりすると、仕事とはまた別の顔が見えた。相手の状況や気持ちが分からないとか、冷たいとか、全くそういう人ではなかった。ただ、その人の中には自分の目指す理想のようなものがあって、それが他の人よりとても高い位置にあることも感じられた。

 

その人にメンターをしてもらうような形で、対面で話す機会があった。その頃の私は、社内の女の先輩との関係で悩んでいた。その時は確か直接その話をしたわけではなかったけど、最近はこんな作業があって、こういう所を直せたらいいと思う。こういう悩みもあると、そんな話をしていたんだと思う。

 

そうしたらその時に、その人は私に言ってくれた。「しんどい時は、場所を変えて仕事をしてもいい」と。空いている会議室を使って仕事してもいいし、それこそ外のカフェで少し作業するのでもいい、と言ってくれた。

 

流れで、休暇や休憩の取り方の話にもなった。その時、彼は私にこう話した。

 

「自分は昔、一時期うつ状態になったことがあって、気をつけないと精神疾患になるタイプだという自覚がある。好きなコーヒーを飲むのも、気分を変えに外に出るのも、休みをこまめに取るのもそのためなんだ」と。

 

周りからどう思われても、それは仕方のないことだ、と話してくれた。

 

色んな評判がある人だったし、私も厳しいことを言われたこともあった。でも私はその話を聞いて、その人に対する見方がまた変わったのだった。彼のように、「自分自身とちゃんと付き合う感覚」はすごく大切なことだと思ったのだ。もしかしたら仕事そのものより、一番教わったのはそのことだったかもしれない。

 

多分、人はそれぞれ自分自身が容器のようなもので、広くて丈夫なボウルのような人もいれば、スーパーのお弁当で「沢山入っていると思ってたのに、実はすごい底上げで、中のナポリタンが本当に少ししか入ってなかった」という容器の人もいるだろう。あまり量が入らない複雑な作りになっている所に大量のご飯を詰めようとしたら、容器は折れて、中身はこぼれ落ちる。ただ、それが人間となると、その容量に気づけないことあるんだと思う。

 

彼は、自分がどんな容器なのかをよく自覚していた。自分が壊れないように、努力している人だったのだ。私が当時、自分の容器の大きさを分かっていなかったためにこぼしていた色んなものが、彼には見えていたかもしれない。

 

疲れたと感じた時に自分が休むことを、怠けているとか、努力が足りないなどと思ってしまうことがあるけど、本当は逆で、休むことの方が努力なのかもしれないと思う。そのまま何かを続ける方が周りも安心するし、色んなことを壊さなくていい。変化しなくていいからだ。

 

必要な時に休む人は、自分に対して誠実な人。頑張っている人。そんな見方を、その人から教えてもらったんだと思う。なぜか今日、そのことを思い出した。