仕事と心のDiary

デトックスのための文章

メメント・モリで捉えなおす、与えられた時間の価値。

転職サイト経由で連絡を下さった企業のホームページを見ていたら、「働く環境」というページが用意されていた。なかなか知れない部分なのでありがたいと思いながら開くと、「従業員〇〇名」「有休消化率〇〇%」などの文字に続けて、大きく「21時完全退社」との文字があった。

 

21時…それは早いのだろうか、遅いのだろうか。それだけ需要があるのかもしれない。贅沢だって言えない時世だ。でも、遅い。どう転んでも21時は遅くはないだろうか、自分よ。どう感じる?

 

口コミサイトも確認してみた所、「逆に21時まで在社する風潮になってます」。そうなるよね。朝9時始業で8時間勤務としても、定時は18時。毎日3時間残業すると、月に60時間。年720時間。うまくやれば自由に使えるはずの時間、約1か月分だ。

 

21時にオフィスを出る、もしくはPCの電源を切る。そこから電車に乗ったり風呂に入れば、1時間ぐらいはすぐに過ぎる。夕飯は帰りに掻きこむか、その後か。就業中ならコンビニのおにぎりをデスクで食べるのか。そして11時間後には始業だ。週末サザエさんのテーマソングを聴く頃に失神している自信がある。

 

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以前の自分の姿が一気に頭の中を駆け巡った。いくらお菓子がつまめても、21時になると腹ペコ通り越してキュイーンと胃痛が始まる。とはいえ、毎日コンビニご飯って心がすさむ。タイムカードを押さずに休憩スペースでお弁当を掻きこむ日もあった。

 

私は、時間が大事だと思うようになった。3時間分の残業代をもらって疲弊するのなら、それを諦めてゆっくり食事し、ドラマを観て、たわいないブログを書きたい。でも本当にその仕事が好きな人には何てことのない、むしろ楽しいオフィスライフだろう。

 

会社は、人の命に投資することで成り立つ場所だ。人が「従業員」として自社で時間を使ってくれなければ何も始まらない。だからその人の時間を、お金で買うのが万事のベースだ。働く側が給料を受け取る代わりに差し出しているのは、自分の時間であり、命そのものだ。

 

その前提を、仕事が楽しいから忘れるのではなく、無意識に忘れてしまうことも多い。サービス残業を許容してしまったり、毎日3時間分の残業代をもらいながらその残業が原因で体を壊して全額治療費に消えるなんてことは、誰にとっても嬉しいことじゃない。

 

時間はお金に換算されるものだが、同時にお金では測れない精神的な喜びをもたらすものでもある。どんなに社会が大変な状況でも「メメント・モリ」(死を想う)という言葉を忘れたくないし、お金のために時間を諦めたくないと何となく感じた。

正解はない。

メモ程度に書こう。失業保険の関係もあって市役所の職業相談へ行ったんだけど、ハローワークや出張所の職業相談よりも遥かに良かった。

 

就業形態(正社員/派遣など)について結構前から悩んでいて、むやみに出掛けるのも怖いのでネットや友人の話を聞いて情報収集していたんだけど、前職のこともあって自力で見通しを立てることに限界を感じ始めていた。全部を相談できる人がいなかった。

 

今日の相談員の方は元々派遣会社のスタッフとして働いていた方で、派遣や紹介予定派遣についても話してくれた。色々ヒアリングされたので、

 

・前職での人間関係

・事前に働く環境が分かると安心できるので、紹介予定派遣や派遣での就業も考えていること

・生活を慣らすためにまず短期で働くのも考えていることと、履歴書の記載が増えることについて

・派遣で働く場合、更新が続けば大体3年ごとに職場が変わると思うが、他に考えられるケースはあるか

 

などを話した。なんだかもう、それ以外にも最近考えていた不安を色々聞いてしまった。

 

履歴書の記載の不安についてはなぜそう思うのかを聞かれ、「あまりに短期間の転職を繰り返しているようだと確かに印象は良くないかもしれないけど、大事なのはその期間それを選んで働いた背景を自分が説明できること。それができれば大丈夫、企業側も「そっか」となりますから(笑)」と言われた。

 

色々言われたのでまとめると、

 

・好きな就業形態でしばらく働いて、またチャレンジしたくなったらその時に(例えば正社員など)他のものを受けることもできます

・就業形態については、今は人によって様々。そこは「〇〇でなくては」とそこまでこだわらなくても大丈夫

・派遣は3年で確かに職場を変えることになるが、その後は次の会社が同意すれば2年勤務後に無期雇用に転換する制度もある

・正解はないので、その時の自分が良いと思うことを選んでいけばいい

 

という感じ。「こんなにちゃんと考えている方は今まであまりお会いしたことがなかったので、今日は私もお話出来てよかったです」などとお言葉をいただいた。色々細かくてすみません。溜まってたもんで…

 

『Filmarks』と映画愛。

映画が好きでFilmarksサイトにアカウントを持っているのですが、携帯にアプリのポップアップが上がってきたので見てみると、(ちなみに書くのは若干憚られるのですが、)このような表示がされておりました。

 

「うん〇漏れ男さんが、あなたをフォローしました」(※〇には文字)

 

…えーっ!

 

不覚にも即効アカウントを開いてしまったのですが、プロフィールを拝見した所、映画をとても愛している方のようだと分かり、ひとまずほっとする。

 

更には「趣味が合いそうな人と、う〇〇漏れてそうな人はフォローします」と書かれていたので、あまり鑑賞作品が被っているわけでもなさそうな私は果たしてどちらで判断されたのか…と真面目に考えていたら、

 

「う〇〇が漏れるのはその映画が名作である証拠だ」ということを書かれていた。なるほど…「感動とは理性を超えるもの」と解釈しておきます。

 

filmarks.com

 

Filmarksではベストムービー設定というのが出来るのですが、なかなかベストを絞ることが出来ないでいます。たとえばスピルバーグと是枝監督だと規模もメッセージも違うし、どちらにも違った感動があるので本当に難しい。

 

色んな映画サイトがありますが、Filmarksは本当に映画好きな人が多い印象があって、いつも参考にしています。早く映画館でも安心して鑑賞できる日が来ますように。

人間、体を壊すこともあるよ。

「マスクを追加配布する」と報道が出た時、総理の体調に異変が起きているのだろうと思った。元々精神疾患があるとも聞いていたのと、いくら何でもとんちんかんさが度を越していると感じていた。費用を抑えて配布する(というか、予算分をさばかなければいけない)のなら、使えるものだけを必要な施設に備蓄させることで解決出来ないのかと感じていた。

 

確かに安倍政権は、政策が後手に回り、税金の使途も「今まで一体何を?」というスキャンダルが度々出た。最近は政府vs都知事みたいな構図で混乱したし、支持するのは無理だ。でもそれと分けて考えたいのは、総理も人間だということ。体を壊すこともある。

 

必要なのは、こういう時に代理指揮できる体制を日頃から政府内で作っておくことだとあらためて思った。「国の統率者が簡単に倒れてどうする」などと糾弾していても、首相の体調が良くなるわけでもなければ財源が増えるわけでもない。

 

news.yahoo.co.jp

 

起きる事を本当に自分事として捉えていたら、こういう記事は生まれない。息巻いて思う存分、愚痴を言ったというのは理解できる。けれど、その先は…?

 

「だからこうしていくと良いのでは」「こういう方法もある」と自分の頭で掘り下げることをせず、多くの人に声を届けられる立場にいるというのはとても稀有なことだ。

 

逆に読み手の同情心を誘発する目的で奇抜な寄稿がされたということも考えられるが、どちらにしてもコロナは「戦争」ではないし、タイトルの「国民」を「私」に変えた上で、個人のSNSで発信した方がいい。

「Thank You」が手書きじゃなくなった気がする。

先日久しぶりにスタバへ行ったら、オーダーがカップへの直書きではなくシールに変わっていました。半年ぐらい前に頼んだ時は、まだマジックで直に書かれていた気がするんだけど…。

 

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私が昔スタバでアルバイトをしていた頃は、この「Thank You」の部分をサイン風にアレンジしたり、言葉やイラストを自分で考えてカップに書くことを楽しみながら働いている人がいました。

 

そうしたカスタムメイドな所にユーモアがあって面白かったけど、多分カップに必要以上に触れないよう、配慮してこういう形になったのかなと思います。

 

もしウイルス対策なら、今後もう手書きには戻らないような気がする。たとえいつか落ち着いたとしても。こんな風に色んなことが、この時代と一緒に変わっていくんだろうと感じます。

やめることにしたこと。

自分に合ったものを選んでいきたいと心から感じるようになり、ウイルスが心配で行動は制限される昨今だけど、出来るだけ自分の心地よさを意識しながら生活しています。

 

私は視力が本当に悪く、その分(?)聴力と嗅覚が良い方なのですが、それで困ることも多くて、聞きたくないのに聞こえてくることが多い。

 

昔から、TVの大きな音、お皿を片付けたり洗う時のガチャガチャした音、ドアの開閉、他にも機嫌の悪そうな音というのがどうしても耐えられず、耳栓が手放せません。いわゆる地獄耳だと感じるし、大好きな映画やカフェも、たまに辛い時があります。

 

あとは、光。視力は弱いのに、TVは省エネモード(画面が少し暗くできる)を頻繁に使っているし、寝る前の数時間は間接照明で過ごします。寝る時にビデオデッキやエアコンの電源ランプの光が気になり、付箋で隠したりしていました。携帯もPCも、ブルーライトカットのアプリを入れています。

 

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そういった気質は直さなければいけないものと捉えていたので、逆に騒がしい場所で集中したり眠る訓練をしていたこともあるけど、もうそういうことはやめようと思っています。ざわざわと動悸がするだけで、克服できなかったから。

 

よく聞こえてくることも、匂いや光に敏感なことも、人の顔色や雰囲気を感じやすいことも、全部自分だから大切にしていくことにしました。こういう体質に無理のない環境を選ぶのは難しいけど、それも私の人生の課題なのだろうと思います。

 

そして、自分の感覚を否定するのももうやめることにしました。確かに、他の人が気にしないようなことを悩んだり傷ついたりして時々本当に面倒になるけど、自然の中を歩いたり音楽を聴いて感情が溢れる時、香水の香りで遠くの風景をどこか懐かしく思い描いたりする時に、本当の自分自身に戻ったような感覚になるからです。

 

利益を生むとか、誰かが作った会社の理念を実現することに自分のエネルギーを注ぐより、何かに一々感動したり、美しさを味わうことにできるだけ多くの時間を使っていきたい。それが出来なくなるほど、無理に何かをすることもないと感じます。

品性について考えさせられたこと。

スキャンダルがあったのではとネットで騒がれている男性タレントのSNSに、多くのコメントが寄せられているのを見ました。ただ、それは糾弾のようなものではなくて、そのタレントがファンにとても愛されているというのが伝わってくるものでした。

 

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その中に、このような言葉がありました。

 

「私は芸能人としてのあなたが大好きで、いつも支えられている。だけど、プライベートのあなたのことは気になりません。私生活は私達と同じ人間であって、どこでどんな息抜きをしようと、私には関係がないと思っている。あなたは芸能人の立場で、私にいつも楽しみをくれています。感謝しています」

 

この方凄い、と感じてしまいました。事実は知らないけど、分かろうと思わないという。でも、そのタレントは彼女にとって紛れもない”推し”であり、決して熱が無いわけではない。

 

普段楽しませてもらっている分、相手の私的なことには踏み込まないし、その権利がない。そういう考え方のように感じます。人って中々、こんな風に弁えられるものじゃないと思う。こういう品性を持ちたいと感じた言葉でした。