仕事と心のDiary

デトックスのための文章

空の色が過去の自分を連れてくる。

家事の中で、洗濯物を取り入れるのが一番好きだ。もっと言えば、洗濯物を取り入れる時に見る夕暮れが好きだ。日を浴びてあたたかくなったタオルやシャツを抱え、建物と建物の間に差し込む美しいオレンジを見る。それは季節や場所によって、薄いブルーとピンクの融合だったり、パープルだったりする。幸せを凝縮したような時間。

 

色んな空の色を見てきたなと思う。中学生の頃は陸上部に好きな人がいて、自分の部活がもっと長引けば帰りの時間が一緒になれたかもしれないのに、と考えながら友達と帰り道を歩いた。その時に見たのは濃いオレンジ色の空で、下校の時に校内放送で流れていたのは坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』だった。

 

社会人になり、好きな人と花火を見に行った。花火が楽しみというよりも、花火が始まるまでの、お酒を買って場所を取り、始まるまでたわいもない話をする時間が好きだった。薄いブルーの空が、だんだんと色を濃く落としていくのを見ていた。

 

ある日の仕事の帰り道では、ずっと行きたかった留学にいつか行こうと決めた。25歳の頃だった。勤務を終えて乗り換え駅で電車を待つ間、ビルとビルの間にピンクと水色が混ざり合ったような空が見えた。そのまま電車に乗り、窓からずっとその色を眺めていた。

 

f:id:sans---souci:20200904204008j:plain


 今は分からなくても、何年か後で空の色を見た時、昔の自分の気持ちも思い出すのかもしれない。そうやって空は、色んなことを繋いでいく。だから今日の空もちゃんと見ておこうと思う。いつかの未来の自分のために。

できること、得意なことをやっていけばいい。苦手なことよりも。

苦手なことを得意な人にやってもらう、というのはすごく必要な考え方だと最近思う。人にはそれぞれに見えない役割みたいなものがあって、自分に合わない場所で何かを必要以上に求め始めた時、不幸が始まるような気がする。

 

大きなお金を動かすとか、高いノルマに挑戦するというようなことは、心が強いいわゆるスポーツマンタイプの人に任せた方が負担は少ないだろうし、人の心のケアやおもてなしが必要なことは、そうした機微が分かる人に任せた方がいい。内向的な人が体育会系の環境に入れば精神的な負担は多いだろうし、外交的な人が一人でこつこつルーティンとなれば、それはそれできっときつい。

 

自分の素質を克服するよりも、それを活かせる環境、大切にできる生活を選んでいけたらいい。自分にできないことは、誰かの得意分野だったりするからだ。「自分だからこういうアイディアが出せる」とか「自分の経験があるからこういうことができる」って言えるようなものがあれば、そちらを磨いていく方がいいんじゃないか。

 

f:id:sans---souci:20200902203408j:plain

 

そこまで好きではない仕事で、人間関係やタスクのことも引きずってしまい、休日も潰してしまう。そんな自分の弱さを責める生活がもう何年も続いていて、変えようと努力しても中々うまくいっていない。それならその席はもうそこで頑張れる他の人に譲り、自分の感覚を大事にできる場所がどこなのかを考えることにエネルギーを使う方法もある。

 

その環境で自分がちゃんと息ができるかとか、楽しいことを楽しいと感じられるかっていうのは、当たり前のことのようで案外危うかったりする。それに、誰にでも得意なことというのが必ずある。何かをやってもやってもうまくいかないのは、自分の能力というよりも選んでいるものが自分に合っていないのかもしれない。だから、必要以上に自分を責めることもないんだと最近感じる。

 

普通のことが普通にでき、楽しいことが寸分の狂いもなく楽しめて、その上で自分の素質が人の役に立つこと。それがベースだと思う。できることをやっていけばいいんだと思った。

距離が近くなりすぎると、離れるのも難しい友人関係。

一人で過ごす時間が好きだ。一人暮らししていた頃、休日の朝に窓の外が暗く、そのうえ雨が降っていたりすると何となく嬉しかった。「家にいていい」と誰かに許可されたような、一日中部屋で映画やドラマを観る口実を得たような気持ちになった。

 

今思えば、周りにも一人が苦にならない人が多い。人との付き合い方についてある友人と話した時、「自分は自分で頑張るし、相手も相手で頑張る。必要な時はちゃんと助け合えるけど、不必要に介入しすぎないような割と個人主義っぽい関係が好きかな?」と言っていた。

 

私も、そういうのがいいと思う。昔、会社が一緒だった子と仲良くなり、よく会っていた時期があった。最初は良かったのだが、それも次第に変化していった。報告しないことがあると拗ねられてしまったり、ただ一緒にご飯や買い物をするだけでは足らず、その後どちらかの家に流れるのがセットになり始めた。

 

f:id:sans---souci:20200831183905j:plain

 

つんくには申し訳ないが、私は友人でも彼でも、狭いシングルベッドで一緒に眠るというのがどうしても得意ではなかった。今思うと、「誰かと一緒に寝るの、苦手で」と言ってしまえればよかった。でも当時は悪いような気がして、なるべく泊まらずに済む方向へ持っていくことしかできなかった。

 

他にも、高級志向な所があって彼女が選んだレストラン以外はすべてNGだったり、私の転機や友人についてマウンティングのように感じられる言葉が増えていった。私も全部受け止めていたわけではなく、否定したこともあったけれど、だんだん会うのが負担に感じるようになっていった。

 

ある時から、返信が遅れるとせっつかれるようになった。最初は返信していたけれど、ある夏の晴れた日に洗濯物を干している時、携帯を見て一気に心が翳ったように感じられた。急ぎの用事でもないのに、苛々される筋合いもない。その時に、「この関係はもう終わりだな」と思った。そこからは思うように連絡も返せなくなり、結果的に疎遠になっていった。

 

一度距離が近くなると、離れるのもとても難しい。一時的に距離を置いて済ませたくても、実際には恋愛のように、付き合い続けるか終わりにするかの二択しかないように思える時もある。別に決定的な亀裂があったわけでもなく、かといって話し合った所で再び元通りにやっていく想像ができないということもある。

 

ズルいくらい幸せな人がやっている 人生が思い通りになる「シンプル生活」

 

そんな時、ワタナベ薫さんの言葉を読んで、その時の自分の心にもう一度確認した。

 

離れたいと思っている相手から嫌われて、何かデメリットはありますか?失ったら何か困りますか? シンプルに自問するだけで答えは明確に出てくることでしょう。

 

そうしたら、出てきた答えは「今無理に関係を繋いでも、私にはもう良いことがないんだ」というものだった。約束の度に背伸びして会うのはしんどいし、それを態度に出したら相手だって良い気はしないはず。すべては仕方がないこと。そう分かってからは後悔もしなくなった。

 

それと同時に、「自分が誘っても、相手が必ず受け入れてくれるとは限らない」という前提も忘れないようにしようと思った。心の内は何となく伝わるものでも、それは100%正解ではない。「自分は自分、相手は相手」。返事がない時は、静かに待つ。結果がNOでも、受け入れる。人は結局、魅力でしか相手を縛れないんだとその時に思った。

変化の多い世の中で、決して変わらないもの。

LINEのアカウントで「ステータスメッセージ」というのを入れている友人がいる。私は入れていないが、それを登録すると「友だち」のページでアイコンと一緒にメッセージも表示される。自分を表すつぶやきのようなものだ。

 

「いつも眠い」とか「食いだおれ」とか、皆それぞれに好きな言葉を入れている。中には「 I like to be a free spirit. Some don…」という具合に、凝ったことを入れたいのに長すぎて表示されていない人もいる。

 

その中に、「諸行無常」という言葉があった。アイコンは海に向かう一本道の風景の写真。まるで悟りを開いたかのような様相だ。私はそのアカウントを見るたびに、今はもう無くなってしまった物や場所や、人のことを思い出す。

 

学生時代の制服は、中・高とも卒業したタイミングでデザインが一新された。卒業後に学校の近くを歩き、自分がかつて着ていた制服姿の学生を眺めて思い出に浸れないのはどこか寂しかった。そして、通った小学校は少子化で合併して全然違う名前になってしまったし、勤めていた会社に至っては数年前に無くなってしまった。

 

f:id:sans---souci:20200829162549j:plain

 

社会人になって留学した際に、日系の『Jadis』という会社が貸し出しているアパートを使っていた。スタッフの方が優しく、向かいの部屋には管理人のエジプト系のおじさんが住んでいた。彼の部屋は修理中とのことでドアがいつも開け放されており、よく一緒にお茶を飲んだり、街を案内してもらった。

 

日本へ戻った後も、またその部屋を借りればいつでも彼らに会えて、当時に戻れるような気がしていた。そんな場所が日本以外のどこかにあるというのは、私にとって人生の秘密基地を得たような感覚だった。

 

けれどその3年後、夏季休暇にそこを借りようと会社のサイトを確認すると、その会社はもう無くなっていた。一期一会という言葉の重みを、この時ほど感じたことは無い。大好きだったあの異国の狭い部屋から、中庭を眺めることはもう出来ないのだと思った。

 

f:id:sans---souci:20200829162725j:plain

 

平家物語ほどの壮絶さはないにせよ、私もそれなりに日々失われていくものの「鐘の声」を聴き、様変わりする世の儚さを感じながらこの20年を過ごした。でも、どんなに環境が変化しても、記憶や思い出は無くならない。そのことが自分をほっとさせる。

 

今はどうしているか分からない人達と昔交わしたお酒とか、今は無くなってしまった場所で笑ったり泣いたりしていたあの頃のことを、心はちゃんと覚えている。当時の店の風景も、相手の笑顔も。諸行無常の世では刹那の出来事でも、自分の心の中で永遠になっていく。そう思えば、変化も受け止めていける気がしている。

メメント・モリで捉えなおす、与えられた時間の価値。

転職サイト経由で連絡を下さった企業のホームページを見ていたら、「働く環境」というページが用意されていた。なかなか知れない部分なのでありがたいと思いながら開くと、「従業員〇〇名」「有休消化率〇〇%」などの文字に続けて、大きく「21時完全退社」との文字があった。

 

21時…それは早いのだろうか、遅いのだろうか。それだけ需要があるのかもしれない。贅沢だって言えない時世だ。でも、遅い。どう転んでも21時は遅くはないだろうか、自分よ。どう感じる?

 

口コミサイトも確認してみた所、「逆に21時まで在社する風潮になってます」。そうなるよね。朝9時始業で8時間勤務としても、定時は18時。毎日3時間残業すると、月に60時間。年720時間。うまくやれば自由に使えるはずの時間、約1か月分だ。

 

21時にオフィスを出る、もしくはPCの電源を切る。そこから電車に乗ったり風呂に入れば、1時間ぐらいはすぐに過ぎる。夕飯は帰りに掻きこむか、その後か。就業中ならコンビニのおにぎりをデスクで食べるのか。そして11時間後には始業だ。週末サザエさんのテーマソングを聴く頃に失神している自信がある。

 

f:id:sans---souci:20200827190427j:plain

 

以前の自分の姿が一気に頭の中を駆け巡った。いくらお菓子がつまめても、21時になると腹ペコ通り越してキュイーンと胃痛が始まる。とはいえ、毎日コンビニご飯って心がすさむ。タイムカードを押さずに休憩スペースでお弁当を掻きこむ日もあった。

 

私は、時間が大事だと思うようになった。3時間分の残業代をもらって疲弊するのなら、それを諦めてゆっくり食事し、ドラマを観て、たわいないブログを書きたい。でも本当にその仕事が好きな人には何てことのない、むしろ楽しいオフィスライフだろう。

 

会社は、人の命に投資することで成り立つ場所だ。人が「従業員」として自社で時間を使ってくれなければ何も始まらない。だからその人の時間を、お金で買うのが万事のベースだ。働く側が給料を受け取る代わりに差し出しているのは、自分の時間であり、命そのものだ。

 

その前提を、仕事が楽しいから忘れるのではなく、無意識に忘れてしまうことも多い。サービス残業を許容してしまったり、毎日3時間分の残業代をもらいながらその残業が原因で体を壊して全額治療費に消えるなんてことは、誰にとっても嬉しいことじゃない。

 

時間はお金に換算されるものだが、同時にお金では測れない精神的な喜びをもたらすものでもある。どんなに社会が大変な状況でも「メメント・モリ」(死を想う)という言葉を忘れたくないし、お金のために時間を諦めたくないと何となく感じた。

正解はない。

メモ程度に書こう。失業保険の関係もあって市役所の職業相談へ行ったんだけど、ハローワークや出張所の職業相談よりも遥かに良かった。

 

就業形態(正社員/派遣など)について結構前から悩んでいて、むやみに出掛けるのも怖いのでネットや友人の話を聞いて情報収集していたんだけど、前職のこともあって自力で見通しを立てることに限界を感じ始めていた。全部を相談できる人がいなかった。

 

今日の相談員の方は元々派遣会社のスタッフとして働いていた方で、派遣や紹介予定派遣についても話してくれた。色々ヒアリングされたので、

 

・前職での人間関係

・事前に働く環境が分かると安心できるので、紹介予定派遣や派遣での就業も考えていること

・生活を慣らすためにまず短期で働くのも考えていることと、履歴書の記載が増えることについて

・派遣で働く場合、更新が続けば大体3年ごとに職場が変わると思うが、他に考えられるケースはあるか

 

などを話した。なんだかもう、それ以外にも最近考えていた不安を色々聞いてしまった。

 

履歴書の記載の不安についてはなぜそう思うのかを聞かれ、「あまりに短期間の転職を繰り返しているようだと確かに印象は良くないかもしれないけど、大事なのはその期間それを選んで働いた背景を自分が説明できること。それができれば大丈夫、企業側も「そっか」となりますから(笑)」と言われた。

 

色々言われたのでまとめると、

 

・好きな就業形態でしばらく働いて、またチャレンジしたくなったらその時に(例えば正社員など)他のものを受けることもできます

・就業形態については、今は人によって様々。そこは「〇〇でなくては」とそこまでこだわらなくても大丈夫

・派遣は3年で確かに職場を変えることになるが、その後は次の会社が同意すれば2年勤務後に無期雇用に転換する制度もある

・正解はないので、その時の自分が良いと思うことを選んでいけばいい

 

という感じ。「こんなにちゃんと考えている方は今まであまりお会いしたことがなかったので、今日は私もお話出来てよかったです」などとお言葉をいただいた。色々細かくてすみません。溜まってたもんで…

 

『Filmarks』と映画愛。

映画が好きでFilmarksサイトにアカウントを持っているのですが、携帯にアプリのポップアップが上がってきたので見てみると、(ちなみに書くのは若干憚られるのですが、)このような表示がされておりました。

 

「うん〇漏れ男さんが、あなたをフォローしました」(※〇には文字)

 

…えーっ!

 

不覚にも即効アカウントを開いてしまったのですが、プロフィールを拝見した所、映画をとても愛している方のようだと分かり、ひとまずほっとする。

 

更には「趣味が合いそうな人と、う〇〇漏れてそうな人はフォローします」と書かれていたので、あまり鑑賞作品が被っているわけでもなさそうな私は果たしてどちらで判断されたのか…と真面目に考えていたら、

 

「う〇〇が漏れるのはその映画が名作である証拠だ」ということを書かれていた。なるほど…「感動とは理性を超えるもの」と解釈しておきます。

 

filmarks.com

 

Filmarksではベストムービー設定というのが出来るのですが、なかなかベストを絞ることが出来ないでいます。たとえばスピルバーグと是枝監督だと規模もメッセージも違うし、どちらにも違った感動があるので本当に難しい。

 

色んな映画サイトがありますが、Filmarksは本当に映画好きな人が多い印象があって、いつも参考にしています。早く映画館でも安心して鑑賞できる日が来ますように。