仕事と心のDiary

デトックスのための文章

「楽しんでね」という言葉

色んなことを考え詰めた時期を経て、頭が「もう限界なんですけど…」と稼働率を下げ始めているのが最近の自分の状態だ。

 

何でも見通したい。損したくないし、失敗したくなくて、「先のことを全部一旦計算させてください」という気持ちで今までずっとやってきたが、それは本当に疲れるし、想定が外れることもある。自分自身が変わってしまうこともあるし、何よりそんなガチガチの状態では、物事を気持ち的に楽しめない。

 

全部、自分の見える範囲でコントロールしようとすると、一時は安心できても、違う結果になった時に苦しい。

 

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「分からないこと」を、楽しんで生きたいと思う。未来のことは分からない。だから不安だが、だからこそ楽しいってこともあるだろう。答えが一つではないことも、人との出会いの中でどう転んでいくか分からないことも、楽しんでしまえばすべてがきっと変わる。

 

ある人がいつも、「楽しんでるか?」「楽しんでね」と私に言葉を掛けてくれていた。不思議と今になって、そのことがよく思い出される。昔の自分には咀嚼できなかったが、本当は今のこの”空白期間を迎えた自分”のために、先取りして貰った言葉だったのだろうか。心の中に、いつも持っておきたい言葉だ。

休んだ時間が私に教えてくれたこと。

何もしない時間は私に色んなことを教えてくれた、と思う。半年前はひたすら「何もしたくない」時間があり、その後「何もできない」時間が訪れ、それが終わってようやく、自分の意志で「何もしない」時間がやってきた。

 

中でも、休んだことで仕事との間に距離ができ、「働くことを人生の最優先事項にしなくてもいい」と気付けたことは大きい。ずっと仕事と繋がっていないと得られないものも確かにあるが、繋がっているから気付けないこともあると知った。(私の場合は、繋がるというより「しがみついていた」と言った方がいいかもしれないけど。)

 

何もしない時間は、「何もできなくなっても実はさほど問題がないし、何より自分も結構頑張ってたんじゃないか」とも気付かせてくれた。それまで「あれもこれも出来ない自分だから、もっともっと頑張らないと」とマイナスの目盛りをゼロに持っていくような感覚でいたが、本当はすべてがプラスでしかなかった。

 

完璧ではなくても、何かを良くしたいと願い、目の前のことに真摯に向き合うのは良いことのはずなのに、それを「自分だから」という理由だけで何も無かったことにしていた自分の冷酷さが怖くなった。形だけ優しい言葉を自分にかけたとしても、やってきたことを箒で掃き続けていたら何の意味もない。自分の本質をちゃんと理解し、他の人にはできても自分には難しいことがあるということを知り、そんな中でも頑張ったじゃないかと、納得すること。当たり前のことなんて一つもないと思うこと。

 

何もしない時間は、いつか訪れる「死」というものについても考えさせた。尊敬する人が言っていた。「死ぬまでに、あと何度食事ができるだろうかと想像する。目安で数えてみるとそれが意外に少ないことに気付く。だから本当に食べたいものを食べる。」と。やりたくないことも、嫌なことも、ゼロにできる人生などどこにも存在しないし、いつか命が終わることを何かの言い訳にするのもいけない。でも死を想うと、好きな国を自分の足で巡れるのは何歳ぐらいまでだろう、とか、親の顔が見られるのはあと何年ぐらいだろう、とか、これから出会える人の数とか、自然に問いかけが生まれる。

 

そういうのを全部含めて、休むって、ずっと脇道に置いてきた幸せを取り戻しにいくような時間なのかもしれないと思う。「自分はこんなに何も出来ない人だったんだ」と知り、「でも何もできなくても、変わらず傍にいてくれる人がいる」と気付き、次第に「何もできなくても、別に良かったんだ」と思うようになる。何者でもなくなる感覚。そこから、「そうだ、これが好きだったんだ」「これが嫌だったんだ」と思い出したりする。

 

休むことは怖い。置いていかれるような気がするし、元に戻れなくなる気がする。でも、自分の気持ちを確かめるいい機会でもある。「本当に、前の自分に戻りたいのか」と。正社員でそれなりに給料を手にしていても、私は前の自分には戻りたくない。目の前に何があっても、素通りできてしまうような無感動な自分だったからだと思う。

 

いくつになっても器用には生きられない自分だけど、何かができなくてもいいから、今何を感じているのかぐらいは分かる大人でいたいと思う。

音楽は山登りに似ている。

今日は書くことが思い浮かばない。絞り出して書けることといったら、配信で観ていた『SUITS』で「いい加減、感情ではなく事実と論理性に目を向けろ。それが真の弁護士というものだ」とマイクを突き放すハーヴィーがなんて素敵なの、と思ったこととか、ベッドカバーをブルーからパープルに変えて部屋が明るくなったこととか、自分にやる気を出させるにはどうしたらいいんだろうと悩んだこととか、それぐらい。

 

あとはショパンベートーヴェン中心のピアノ生活を過ごしてきたと思っていたけど意外とブラームスの割合も多いことに気付いたとか、ドビュッシーの『雨の庭』なんて一生かかっても弾ける気がしない、と思ったこととか。

 


ドビュッシー:「版画」より 第3曲「雨の庭」

 

ごてごての和音ミックスとか、楽譜が見た感じ「黒い」方が意外と音を出しやすかったりする。シンプルな楽譜こそ難しい。これやりながら跳ねるんかい、という所にスタッカートがさりげなく印字されていたり、ここをずっと押さえながらこの指の移動は無理ゲー。と絶望した所で、更にここを滑らかに弾けと?と、虹のように弧を描いたスラーがいくつかの音符を繋いでいる。

 

ベートーヴェンの『テンペスト』第3楽章も、楽譜は割と白い。ペダルを踏んでしまえば「それっぽく」響かせることができるし、音を拾うだけなら弾きやすい。でも、ベートーヴェンは「ペダル踏んでいいよ」と言っていない。更に、細かく音符を見ていくとまさに上のような突っ込みが多数出て発狂したくなる。シンプルだからすぐ弾けると思っていると、足元をすくわれる。(と私は思う)

 


『ベートーベン:テンペスト』(Beethoven, Tempest Sonata No.17, Op.31-2.3)(ピアノ楽譜)

 

作曲家の世界を覗くのは難しい。その響きに何を込めたのか、どんな景色を見ていたのかが知りたいと思う。楽器を弾くことは、山登りに似ている。音楽は感情も大切だが、まず楽譜という真実があり、それを一歩一歩忠実に辿ることで初めて作曲家の心に近づける。弁護士にとっての法律が、音楽をやる人にとっての楽譜。使いこなせて初めて、自分なりのアレンジや表現ができる。

 

…と、書いていたら色々と思い出した。つまりどんなことも、基本は大事だな、と思う。

空の色が過去の自分を連れてくる。

家事の中で、洗濯物を取り入れるのが一番好きだ。もっと言えば、洗濯物を取り入れる時に見る夕暮れが好きだ。日を浴びてあたたかくなったタオルやシャツを抱え、建物と建物の間に差し込む美しいオレンジを見る。それは季節や場所によって、薄いブルーとピンクの融合だったり、パープルだったりする。幸せを凝縮したような時間。

 

色んな空の色を見てきたなと思う。中学生の頃は陸上部に好きな人がいて、自分の部活がもっと長引けば帰りの時間が一緒になれたかもしれないのに、と考えながら友達と帰り道を歩いた。その時に見たのは濃いオレンジ色の空で、下校の時に校内放送で流れていたのは坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』だった。

 

社会人になり、好きな人と花火を見に行った。花火が楽しみというよりも、花火が始まるまでの、お酒を買って場所を取り、始まるまでたわいもない話をする時間が好きだった。薄いブルーの空が、だんだんと色を濃く落としていくのを見ていた。

 

ある日の仕事の帰り道では、ずっと行きたかった留学にいつか行こうと決めた。25歳の頃だった。勤務を終えて乗り換え駅で電車を待つ間、ビルとビルの間にピンクと水色が混ざり合ったような空が見えた。そのまま電車に乗り、窓からずっとその色を眺めていた。

 

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 今は分からなくても、何年か後で空の色を見た時、昔の自分の気持ちも思い出すのかもしれない。そうやって空は、色んなことを繋いでいく。だから今日の空もちゃんと見ておこうと思う。いつかの未来の自分のために。

できること、得意なことをやっていけばいい。苦手なことよりも。

苦手なことを得意な人にやってもらう、というのはすごく必要な考え方だと最近思う。人にはそれぞれに見えない役割みたいなものがあって、自分に合わない場所で何かを必要以上に求め始めた時、不幸が始まるような気がする。

 

大きなお金を動かすとか、高いノルマに挑戦するというようなことは、心が強いいわゆるスポーツマンタイプの人に任せた方が負担は少ないだろうし、人の心のケアやおもてなしが必要なことは、そうした機微が分かる人に任せた方がいい。内向的な人が体育会系の環境に入れば精神的な負担は多いだろうし、外交的な人が一人でこつこつルーティンとなれば、それはそれできっときつい。

 

自分の素質を克服するよりも、それを活かせる環境、大切にできる生活を選んでいけたらいい。自分にできないことは、誰かの得意分野だったりするからだ。「自分だからこういうアイディアが出せる」とか「自分の経験があるからこういうことができる」って言えるようなものがあれば、そちらを磨いていく方がいいんじゃないか。

 

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そこまで好きではない仕事で、人間関係やタスクのことも引きずってしまい、休日も潰してしまう。そんな自分の弱さを責める生活がもう何年も続いていて、変えようと努力しても中々うまくいっていない。それならその席はもうそこで頑張れる他の人に譲り、自分の感覚を大事にできる場所がどこなのかを考えることにエネルギーを使う方法もある。

 

その環境で自分がちゃんと息ができるかとか、楽しいことを楽しいと感じられるかっていうのは、当たり前のことのようで案外危うかったりする。それに、誰にでも得意なことというのが必ずある。何かをやってもやってもうまくいかないのは、自分の能力というよりも選んでいるものが自分に合っていないのかもしれない。だから、必要以上に自分を責めることもないんだと最近感じる。

 

普通のことが普通にでき、楽しいことが寸分の狂いもなく楽しめて、その上で自分の素質が人の役に立つこと。それがベースだと思う。できることをやっていけばいいんだと思った。

距離が近くなりすぎると、離れるのも難しい友人関係。

一人で過ごす時間が好きだ。一人暮らししていた頃、休日の朝に窓の外が暗く、そのうえ雨が降っていたりすると何となく嬉しかった。「家にいていい」と誰かに許可されたような、一日中部屋で映画やドラマを観る口実を得たような気持ちになった。

 

今思えば、周りにも一人が苦にならない人が多い。人との付き合い方についてある友人と話した時、「自分は自分で頑張るし、相手も相手で頑張る。必要な時はちゃんと助け合えるけど、不必要に介入しすぎないような割と個人主義っぽい関係が好きかな?」と言っていた。

 

私も、そういうのがいいと思う。昔、会社が一緒だった子と仲良くなり、よく会っていた時期があった。最初は良かったのだが、それも次第に変化していった。報告しないことがあると拗ねられてしまったり、ただ一緒にご飯や買い物をするだけでは足らず、その後どちらかの家に流れるのがセットになり始めた。

 

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つんくには申し訳ないが、私は友人でも彼でも、狭いシングルベッドで一緒に眠るというのがどうしても得意ではなかった。今思うと、「誰かと一緒に寝るの、苦手で」と言ってしまえればよかった。でも当時は悪いような気がして、なるべく泊まらずに済む方向へ持っていくことしかできなかった。

 

他にも、高級志向な所があって彼女が選んだレストラン以外はすべてNGだったり、私の転機や友人についてマウンティングのように感じられる言葉が増えていった。私も全部受け止めていたわけではなく、否定したこともあったけれど、だんだん会うのが負担に感じるようになっていった。

 

ある時から、返信が遅れるとせっつかれるようになった。最初は返信していたけれど、ある夏の晴れた日に洗濯物を干している時、携帯を見て一気に心が翳ったように感じられた。急ぎの用事でもないのに、苛々される筋合いもない。その時に、「この関係はもう終わりだな」と思った。そこからは思うように連絡も返せなくなり、結果的に疎遠になっていった。

 

一度距離が近くなると、離れるのもとても難しい。一時的に距離を置いて済ませたくても、実際には恋愛のように、付き合い続けるか終わりにするかの二択しかないように思える時もある。別に決定的な亀裂があったわけでもなく、かといって話し合った所で再び元通りにやっていく想像ができないということもある。

 

ズルいくらい幸せな人がやっている 人生が思い通りになる「シンプル生活」

 

そんな時、ワタナベ薫さんの言葉を読んで、その時の自分の心にもう一度確認した。

 

離れたいと思っている相手から嫌われて、何かデメリットはありますか?失ったら何か困りますか? シンプルに自問するだけで答えは明確に出てくることでしょう。

 

そうしたら、出てきた答えは「今無理に関係を繋いでも、私にはもう良いことがないんだ」というものだった。約束の度に背伸びして会うのはしんどいし、それを態度に出したら相手だって良い気はしないはず。すべては仕方がないこと。そう分かってからは後悔もしなくなった。

 

それと同時に、「自分が誘っても、相手が必ず受け入れてくれるとは限らない」という前提も忘れないようにしようと思った。心の内は何となく伝わるものでも、それは100%正解ではない。「自分は自分、相手は相手」。返事がない時は、静かに待つ。結果がNOでも、受け入れる。人は結局、魅力でしか相手を縛れないんだとその時に思った。

変化の多い世の中で、決して変わらないもの。

LINEのアカウントで「ステータスメッセージ」というのを入れている友人がいる。私は入れていないが、それを登録すると「友だち」のページでアイコンと一緒にメッセージも表示される。自分を表すつぶやきのようなものだ。

 

「いつも眠い」とか「食いだおれ」とか、皆それぞれに好きな言葉を入れている。中には「 I like to be a free spirit. Some don…」という具合に、凝ったことを入れたいのに長すぎて表示されていない人もいる。

 

その中に、「諸行無常」という言葉があった。アイコンは海に向かう一本道の風景の写真。まるで悟りを開いたかのような様相だ。私はそのアカウントを見るたびに、今はもう無くなってしまった物や場所や、人のことを思い出す。

 

学生時代の制服は、中・高とも卒業したタイミングでデザインが一新された。卒業後に学校の近くを歩き、自分がかつて着ていた制服姿の学生を眺めて思い出に浸れないのはどこか寂しかった。そして、通った小学校は少子化で合併して全然違う名前になってしまったし、勤めていた会社に至っては数年前に無くなってしまった。

 

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社会人になって留学した際に、日系の『Jadis』という会社が貸し出しているアパートを使っていた。スタッフの方が優しく、向かいの部屋には管理人のエジプト系のおじさんが住んでいた。彼の部屋は修理中とのことでドアがいつも開け放されており、よく一緒にお茶を飲んだり、街を案内してもらった。

 

日本へ戻った後も、またその部屋を借りればいつでも彼らに会えて、当時に戻れるような気がしていた。そんな場所が日本以外のどこかにあるというのは、私にとって人生の秘密基地を得たような感覚だった。

 

けれどその3年後、夏季休暇にそこを借りようと会社のサイトを確認すると、その会社はもう無くなっていた。一期一会という言葉の重みを、この時ほど感じたことは無い。大好きだったあの異国の狭い部屋から、中庭を眺めることはもう出来ないのだと思った。

 

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平家物語ほどの壮絶さはないにせよ、私もそれなりに日々失われていくものの「鐘の声」を聴き、様変わりする世の儚さを感じながらこの20年を過ごした。でも、どんなに環境が変化しても、記憶や思い出は無くならない。そのことが自分をほっとさせる。

 

今はどうしているか分からない人達と昔交わしたお酒とか、今は無くなってしまった場所で笑ったり泣いたりしていたあの頃のことを、心はちゃんと覚えている。当時の店の風景も、相手の笑顔も。諸行無常の世では刹那の出来事でも、自分の心の中で永遠になっていく。そう思えば、変化も受け止めていける気がしている。