仕事と心のDiary

夜になったら色んなものを脱ぎ捨てよう。

断捨離はケチだとうまくいかない。

頭痛と腰痛のダブルウェーブだったけど今日を生き延びた。暖かながら風もあって、過ごしやすい日でしたね。

 

そして今日も、自分の部屋にまだ残っている形ある物達の山を見てうんざりした。私こんなにも「捨てられない人」だったの?と改めて愕然とする。

 

しかし、(もちろんこれから新たに何かを買うことはセーブするとして)ひとまず自分の擁護をすると、以前ミニマリストを目指す方の限界のようなものを知ってしまったんですね。

 

その方は服を買ったら古い服を一着捨てるというのを徹底しているらしいんだけど、総数自体が少ないせいで「服を捨てすぎて、洗濯できない時に着る物がないよー(;_;)」と言っていたので、なんだか可哀想になってしまって。

 

物に囲まれない日々の清々しさの代償は不便さなのだと改めて思ったんです。

 

洗濯できない時に、多少ほつれていても「あ、この子がいたじゃん♪」と身体が包まれる安心感。貧乏性なのもあると思いますが。

 

もし、一時期「捨てる!」と決めてビニールに詰めた服をすぐ資源回収に出さずにしばらくの間片隅で温存して、その後何かの拍子にビニールを再び開けて「あ、これ使えるじゃん♡」となる人がいたとしたら、それは私です。

 

それでいてホテルみたいなスッキリした清潔感のある部屋に憧れているんだからどうしようもない。

 

捨てた後の爽快感と捨てないことの安心感は、同時には手に入らない。何かを得るために何かを捨てるのは物の道理なのに、できるだけ損をしたくないんですね。

 

結局、欲張りなんでしょうね。うざいから去ってほしいのに見守ってくれないと嫌、みたいな面倒なやつ。思えば物に限らず、自分の中にはいつもそうしたずるい矛盾が存在している気がします。

 

そして、「いつか」を想定しながら生きる自分の価値観が相変わらず健在ということも改めて分かりました。

 

「捨ててもどうにかなる」ってことが体感できれば、捨てられるようになるんだろうな。損を覚悟で捨ててみるしかないか。