仕事と心のDiary

デトックスのための文章

木村花さんと、テラハやダブルベッドに見る闇の匿名性。

木村花さんのことを、「もっと強く生きなきゃ」「精神的に弱かった」という人達のことを、どうしても理解できないままでいます。

 

私はテラスハウスを観ていなかったのですが、木村花さんが亡くなったとニュースが流れた瞬間から、Twitterで彼女を責めるような発言をしていた人達がアカウントから一斉にいなくなり始めた、というネットニュースを目にしました。

 

番組内で彼女のプロレス衣装が同居人に勝手に洗濯されてしまい、洗った相手に暴言を吐いたことが発端だったそうで、その後彼女のSNSには1日に100以上の「死ね」「気持ち悪い」「ふざけんな」という言葉が書き込まれてしまったそう。

 

確かにTVで暴言を吐くって人として良くないし、相手も傷ついたと思うけど、一方で彼女にとってそのコスチュームがどれぐらい大切だったのか、プロレスの仕事にどれだけ向き合っていたのかという真実は、誰にも分からないのではと思いました。

 

彼女が精神的に弱かっただけだという意見もあったみたいだけど、それはその発言者のメンタルが頑強(鈍感)で、かつ人目にさらされる場所で将来生き続ける想定がないからできることであって、誰でもあなたみたいに生きられるわけじゃないでしょ、と思います。

 

花さんは何も理由がなく暴言を吐いたわけではなくて、いくらプロレスでは悪役でいつもラウンドで吠えていたとしても、コスチュームを脱げばまだ22歳の女の子です。顔も知らない世間から一斉に死ねなどと言われたら、正気ではいられないと思うのです。

 

toyokeizai.net

 

この記事にあるように、恋愛リアリティショーって視聴者からするとドラマとか映画よりもどうしても身近に感じてしまって、知り合いのシェアハウスを覗いているような気持ちになってしまうんですよね。制作側もそこに面白さを感じて、そこまで深く考えていなかったんだと思うのですが。

 

私、今回の花さんと同じような恐怖を、TBSの『ダブルベッド SEVEN DAY LOVER』でも感じたことがあります。山本ソニアちゃんと、武田航平さんのシーズンの時です。

 

she-room.com

 

確かにはたから見ると武田さんの発言は厳しいというか、女性を隅々まで観察しているしポリシーも持っている方だから、女性からするとある意味恐ろしい男性だなとは思ったけど、それを本人のSNSのコメント欄にわざわざ書く所まで行ってしまう大衆の精神性の方がよほど怖いと、今は感じます。

 

自分の個人ブログに感想を書き込むでも、番組のサイトに投稿するでもなく、出演者のSNSに直接書き込んで、その声を確実に本人へ届けようとするんですね。顔を知られていないのを良いことに。

 

多分、書き込んでしまう人達っていうのは私生活で何か鬱屈したものを抱えていて、その矛先を向けられるのが匿名の場所しかないんですね。私自身も、周りに言いづらいこともブログには吐露できたりするので、SNSのメリットが匿名性にあるというのは理解できます。

 

だけどコロナ禍の自粛と同じで、匿名な分、倫理観がなければ自制なんてできない。自分の欲次第で、実はどこまでも他人を傷つけたり身勝手な行動をすることってできてしまいます。

 

倫理的に食べてはいけないとされているものを食べたり、人を殺めたりも出来てしまうけど、そこで立ち止まれるかどうかが全てだと思うんです。引き返せない理由がまだ自分の精神性にあるうちは、どうにか自力で自分の心の面倒を見るしかない。

 

そういう、気持ちを立て直すための哲学みたいなものを積み重ねていくのが、生きるってことなんじゃないかなと思います。

 

顔も名前も晒されているTVという場所で暴言を吐いてしまった花さんよりも、匿名で本人が傷つくことを直接書いてしまう人の方がよほど病んでいる。そう感じました。ご冥福をお祈りいたします。