仕事と心のDiary

デトックスのための文章

本当に欲しいものを買うのにも、自己肯定感って必要だ、と思う話。

本当に欲しいと思った物を買うというのは、当たり前のことのようで結構難しかったりする。たとえお金があっても、「自分には良い物などもったいない」という思いがあると買えなかったりする。

 

意識するしないに関わらず、何かを買う時の判断基準というのが誰にでもあると思うけど、以前の自分の場合を考えると、重視している順に

 

①それが必要であること。

②品質と価格が見合っていること。

③なるべく安めのお値段で目的が果たせるものはないか?

圏外👑自分が本当に「それを」欲しいと感じていること。

 

という感じだった。以前は今と違って、毎月決まった収入があったにも関わらず。その上、高価なものを買った時ですら、嬉しさやありがたみをあまり感じていなかった。酷い時は、買った後で封すら開けずに放置している物もあった。

 

読みたくて買ったはずなのに、結局読まずに「ツンドク」になっている本なんていうのもあったし、上の①~③の基準で選んだものは結局のところ大切にする気持ちが起こらず、短期間で飽きてしまったりもした。

 

それらはつまり、「そこまで欲しくないものが自分の心を埋めてくれるような気がした」とか、「自分には良い物を受け取る資格なんてないと決めていた」とか、気持ちがこんがらがって物とうまく付き合えていなかったってことなんだと思う。

 

断捨離でもそうだが、物と心というのは密接に繋がっている。もっと言えば、自分が選んだ物は「自分が、自分自身やそれを使う相手のことをどう思っているか」というのを映し出す鏡なのかもしれない。

 

たとえば、値段ばかりに気を取られ、「自分が本当に欲しいのはこれだ」という核心から外れてしまったら、物理的には得をしたとしても虚しさが残る。本当に気に入ったならいいが、もし自分がよく使うものを常に条件だけで選んでいるのだとしたら、心のどこかで「こんな自分だし、この程度の物が似合っている」と判断しているのかもしれない。

 

条件ではなく、「好き」という気持ちで物を選び、それを自分や人に与えるというのは思ったよりも大切なことだと気づいた。その物を得ることに価値があるというより、それを得た時、どんな気持ちになったか。それを知ることの方に意味があるような気がする。

 

「受け取る」ということを、軽視してはいけないと思う。誰にとっても、与えるのと同じぐらい大切なことだ。価値を受け取れるかというのは、自分をきちんと許せているか、認めているかという自己肯定が土台になっている。その土台があれば、欲しい物はちゃんと手に入れようと思うし、望みがあれば叶えようとするのだと思う。

 

本当に欲しいと思った物をちゃんと買えることも、必ずしも当たり前ではない、大切なこと。