仕事と心のDiary

デトックスのための文章

三時に目が覚めることについての、小さな考察。

夜中の三時過ぎに目が覚めた時、ぼー、とした頭でその答えを探してしまう。年を重ねたからなのか、眠る前に携帯を見ていたからなのか。体の水分が想定以上に失われたからなのか、「考えることがあるんだから起きて」と頭が私を起こしたからなのか。見ていた夢が、収まるべき展開に収まったからなのか。

 

そんなどうでもいいことを考えているうちに、更に色々なことが、まるでパンドラの箱を開けてしまったみたいに思考の道に流れ込んでくる。そんな中、ふと、少し開けた障子の方に目をやると、はるか向こうに明かりのついた窓がぽつぽつ見える。ひとつ、ふたつと。

なんだ、こんな時間に眠っていない人なんて結構いるじゃないか。(いや、電気をつけたまま眠っているかもしれないし、その人にとってはもう「起きた朝」なのかもしれないけど。)いずれにしても、まだ空は暗い。

 

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夜中の三時過ぎというのは、考えてみたらとても曖昧な時間だ。二時ならまだ夜中真っ最中という感じがするし、四時ならかなり早起きした朝、と言えそうだ。何時に目覚めてもそこからうまく眠れないことだけは確かだけど、時計を見て「三時〇〇分」だった時の所在なさは、二時の時とも四時の時とも、やっぱり違う。だから思うのだ。起きている時間に折り合いをつけられなかった様々なことが、この曖昧な空白の時間に共鳴して脳内に姿を現すのではないか、と。

 

夜中三時に明かりが漏れる家々に少しだけ励まされながら、私の頭の中では白でも黒でもない思考が相変わらず行ったり来たりしている。この夜は、私が起きている時間に少しずつ抑えてきたことの代償なのかもしれない。まだ暗い夜の闇の中で、相手をしてほしくてやってくる。誰だって、行き場が必要だ。だからそんな夜があると、明日はつたなくてもいいから文章を書こう、と思う。誰かのためではなく、自分のために。