仕事と心のDiary

デトックスのための文章

許せませんか

先日泊まったホテルの部屋にバルコニーがあって、朝起きて外に出ようとしたら、今にも息絶えそうな蝉がいました。どうなるのかな…と眺めていて、ふと思い出したことがありました。

 

不思議なのですが、蝉ってこちらがピアノを弾いていると必ずベランダにやってきて、一緒にミーンと鳴き始めるのです。セッションかよと思うのですが。元々蝉は苦手で、でもそうやって偶然なのか、私が音楽をやっている時に寄ってきて鳴くのを度々経験し、「苦手」だけで片付けてはいけないような何かを感じるようになりました。

 

ホテルの蝉は私が支度をしているうちにいなくなってしまったけど、その時は部屋でやっぱり音楽をかけていました(窓は閉めていたけど…)。

 

蝉の耳は、お腹のあたりにあるのだそうです。知らなかった。

 

ホテルに泊まった日は、本屋が併設されているカフェで、久しぶりに山口路子さんの本を読みました。『大人の美学 245の視点』という本。凄い壮大なタイトルですよね。内容は、シャネルやジェーン・バーキンサガンなどの言葉(で山口さんの美学に通じるもの)が紹介されているといった感じなのですが、今回再び読む中で心に残ったのは、どの有名人の言葉よりも、243番目の視点として紹介されている山口さんのご友人の言葉でした。

 

私が話し終えると彼は言いました。

 

「許せませんか」

 

「許せませんか?」という質問調でもなく、「許せませんか、そうかあ、許せないのかあ」というかんじでもなく、あなたはそれを許せないのだろうか、ほんとうにそうなのだろうか、そんな問いかけが含まれている口調での「許せませんか」。

 

そのひとことを耳にした瞬間、体が硬直してしまいました。愕然としたのです。なぜなら、彼の問いかけである「許す」という選択肢が自分のなかにまったくなかったことに気づき、それが信じがたかったからです。

(『大人の美学 245の視点』279ページより引用)

 

許すというのは、確かに難しい実感があります。逆にすべてのことを「そんな側面もある」と受け入れて平穏な心で許すことができたとしたら、その境地まで達しているのなら悩みは生まれないのではとも思います。「許せないから」、世の中の大半の悩みは生まれている。

 

「許せませんか」

 

昔は「絶対許せないですよ!だって…」と返していたと思いますが、これを今の自分に問われたら揺れるかもしれません。それが「許す」なのか「諦める」なのかはまだ分かっていないのですが、どちらにしても自分と人は違う存在で、完全に理解しあうことはできない。

 

自分の信念を持つことは確かに頑張る力にもつながりますが、それによって許せなくなるほどの何かを抱えること、そこまで何かに執着することはどうなのか、考える日も多いです。それがたとえ自分の核になる考え方だったとしても、それを実践していく時、目の前にいるのは他人ではなく自分であってほしい。

 

簡単にはそうなれないからこそ、目指していきたい姿でもあります。